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第70章

主クワシュナの日常生活

ヴェーダ・マントラには震主には何もなすべき事はないことが述べられています。 しかし、至上主が何もなさらないなら、至上主がどんなことをなさっているかについ て語ることは出来ないはずです。以前の章から明らかなように、誰も主クリシュナの ように活動することは出来ません。私たちは主の模範に従うべきですが、主の模倣は してはなりません。この事実はよく理解しておかなければなりません。たとえば、私 たちは、バガヴァーンでありながら人間のようにふるまっていらっしゃる主クリシュ ナの模範的な世帯者としての生活には従わなければなりませんが、主のように様々な 姿に自分自身を拡張することは出来ません。主はあたかも妃たちに対しては普通の人 間のようにふるまっていらっしゃいましたが、そのことに従うことは出来ます。しか し、主が同時に一万六千人以上もの妃と暮らしていらっしゃったことを真似ることは 出来ません。私たちは、主が日常生活の中でお示しになった足跡に従えば理想的な世 帯者になることが出来ますが、しかしどのような段階にあったとしても主を真似るこ

主クリシュナは夜になると一万六千人の妃たちと一緒にお休みになりましたが、朝 はとても早く起きられ、日の出の三時間前には起床していらっしゃいました。ブラー とは出来ません。フマムフールタの時間がやって来ると自然に鶏が鳴き声をあげるので、目覚し時計は 必要ありません。朝早く鶏が時を告げるのは、起きなさいとの合図なのです。鶏が鳴 くとクリシュナはベッドから起きられるのですが、そのことは妃たちにとって嬉しい ことではありませんでした。妃たちは主から離れることが出来なかったので、ベッド ではいつも主を固く抱きしめていました。しかし鶏が鳴くやいなや、妃たちは憂諺に なり、鶏の鳴き声を怨みました。 

それぞれの宮殿の庭園にはパーリジャータの花が植えられていました。パーリジャ ータは人間界の花ではありません。本書の話題にあったように、もともと天界にあっ た花ですが、主が宮殿の庭園に運ばれたのです。早朝にはそよ風が吹き、パーリジャ ータの花の香りが運ばれて来ます。クリシュナは起き上がるとすぐに、その香りをお 楽しみになりました。その香りに誘われて、蜜蜂たちは羽音を響かせ、烏たちはさえ ずり出します。それは朗唱家が主クリシュナに祈りを捧げているかのようでした。主 クリシュナの第一王妃であるルクミニーは、一日の中でブラーフマムフールタが最も 吉兆な時であることを知ってはいたのですが、ブラーフマムフールタの訪れは彼女に とって喜ばしいことではありませんでした。なぜならその時間になると主がベッドの側から去って行かれるからです(』シュリーマティー・ルクミニーの憂麓にもかかわら ず、主はブラーフマムフールタの訪れとともにベッドから起きられるのです。理想的 な世帯者は主クリシュナのふるまいに学ぶべきです。妻とともにベッドにいてどれほ ど心地好くとも、朝早く起きなければならないのです。 

主クリシュナは起き上がると、口、手、足をお洗いになった後、座って自分自身を 膜想されました。しかしこのことは、私たちも主を真似て、自分自身を膜想すべきで あるということを意味しているのではありません。私たちはクリシュナ、ラーダー・ クリシュナを腹想しなければなりません。それが真の唄想です。クリシュナはクリシュ ナ自身でいらっしゃるので、ブラーフマムフールタの時間にはラーダー・クリシュナ を膜想すべきであることを教えて下さっているのです。主はそのように腹想すること で大いに満足されました。私たちもブラーフマムフールタの時間にラーダー・クリシュ ナを膜想し、シュリー・ルクミニーデーヴィーとクリシュナが理想的な世帯者として 全人類に朝早く起きることを教えて下さっていることを思えば、同じように超越的な 喜びと満足を味わうことが出来ます。ラーダー・クリシュナの永遠の姿を腹想するこ ととハレークリシュナ・マハーマントラを唱えることは、全く同じことです。クリシュナはクリシュナ自身を膜想する他ありません。腹想の対象はブラフマン、パラマート マー、そしてバガヴァーンですが、クリシュナはそれら三つのすべてでいらっしゃい ます。主はバガヴァーンであり、すべての場所に完全な姿で現れているパラマートマ ーは主の拡張体のそのまた拡張体です。そして遍く行き渡っているブラフマンは、主 の超越的な体から発せられた光輝です。ですからクリシュナは常に一つであって、主 にとっては何の区別もありません。それが普通の生命体とクリシュナの違いです。普 通の生命体にとっては、多くの区別があります。普通の生命体にとって自己と体は別 のもので、また自分は他の者とは別の存在です。人間は他の人間とは別人ですし、人 間と動物は別の生き物です。自分自身の体をとってみても、様々な部分があります。 手足を見てみれば、それぞれ別のものです。手が足の仕事をすることは出来ませんし、 足が手のように働くことは不可能です。目は耳のように聞くことは出来ませんし、耳 は目のように見ることは出来ません。このように様々な違いがあることは、専門的に はスワジャーティーャ・ヴィジャーティーャと呼ばれます。 

私たちの体の各部分が別の部分の機能を果たすことは出来ませんが、主に関しては そのような制限はありません。主の体と主自身は全く同じものなのです。主は完全に精神的な存在として蕊主の体と魂の間には物質的な相違は全くないのです。同じよう に、主自身と主の無数の化身や拡張体の間にも全く何の違いもありません。バラデー ヴァはクリシュナの第一の拡張体です。そしてバラデーヴァからサンカルシャン、ヴァ ースデーヴァ、プラデュムナ、アニルッダが拡張します。サンカルシャンからナーラ ーャンがまた拡張します。そしてナーラーャンから第二のサンカルシャン、ヴァース デーヴァ、プラデュムナ、アニルッダが拡張します。このよ箔7にしてクリシュナには 無数の拡張体があります。しかしそれらすべては一つです。クリシュナの化身には、 主ヌリシンハ、主ヴァラーハ(猪)、主マッャ(魚)、主クールマ(亀)など様々な 姿があります。しかしクリシュナの本来の姿、すなわち二本腕の人間のような姿と、 それらの巨大な動物の姿の化身には何の違いもありません。主の体の各部分の働きも また違いがありません。主の手は足の機能を果たすことも出来ます。主の目は耳とし ての働きもします。そして主の鼻は鼻以外の器官の働きをすることが出来るのです。 クリシュナにとって、匂いをかぐこと、食べること、聞くことなどはすべて同じ行為 なのです。制限された生命体である私たちは、特定の目的を達成するにはそれにあっ た身体の部分を使わなければなりませんが、主クリシュナに関してはそのような区別はありません。一雫ブラフマ・サンヒター』に述べられているように主の体のどの部 分も他のすべての器官の働きをすることが出来るのです。クリシュナとクリシュナの 人格を分析的に研究することによって、主が完全体でいらっしゃることが結論されま す。ですから主は腹想するとき自分自身を腹想されるのです。普通の人が自分を腹想 することはただの模倣です。クリシュナは完全体でいらっしゃるので自分自身を膜想 することが出来ますが、私たちは主を模倣して自分自身を膜想してはなりません。私 たちの体は単なる称号に過ぎませんが、主の体は称号ではありません。クリシュナの 体もまたクリシュナ自身なのです。クリシュナの中には異質なものは存在し得ません。 クリシュナがいるところもまたクリシュナです。ですから主が至上者でいらっしゃる のです。主は尽きることのないお方、完全なる存在、至上真理でいらっしゃいます。 

クリシュナは相対的な存在ではありません。クリシュナ以外のすべては相対的真理 ですが、クリシュナは絶対真理です。クリシュナは他の何にも頼らずに存在すること が出来ます。たとえば、私たちが何かを見るためには、太陽、月、電気の光が必要で す。ですから私たちの視力は相対的なものです。また太陽、月、電気の光も相対的で す。太陽、月、電光などが光を発しているとされるのは、私たちがそれらを発光体と見るからです。しかし依存性や相対性はクリシュナの中には見られません。主の活動 は、他の誰から称えられようが非難されようが、他の誰にも依存していないのです。 また主には他の誰の助けも必要ありません。主は限りある時間や空間には依存してい らっしゃらないので、限られた動きしか出来ないマーャーの幻想に覆われることはあ りません。ヴェーダ文典に述べられているように、バガヴァーンは多様なエネルギー を持っていらっしゃいます。すべてのエネルギーは主から現れたものなので、主自身 と主のエネルギーの間には何の違いもありません。クリシュナが物質界においでにな るときは物質の体をお受け入れになると主張する哲学者たちもいます。しかし、たと え主が物質界にいらっしゃったとき物質の体をお受け入れになると認めたとしても、 物質エネルギーも主自身と同じものなので、主の体は物質的なふるまいをしないと結 論出来ます。ですから『バガヴァッド・ギーター』には、「主は自らの内的エネルギ ーすなわちアートマ・マーャーによって出現する」と述べられているのです。 

主クリシュナによって創造、維持、破壊が行われるために、主は至上ブラフマンと 呼ばれています。主ブラフマー、主ヴィシュヌ、主シヴァは物質的性質の拡張体です。 物質的性質は束縛された魂には作用を及ぼしますが、クリシュナはそれらの作用も反動もお受けになりません。なぜなら、主はそれらの物質的性質と一つであると同時に、 別でいらっしゃるからです。クリシュナ自身はサッチダーナンダ・ヴィグラハすなわ ち至福と知識に満ちた永遠の姿で、想像を絶した偉大な質を持っていらっしゃるので、 至上ブラフマンと呼ばれています。主がブラフマン、パラマートマー、バガヴァーン を膜想されるということは主自身を膜想していらっしゃるということであって、主を 越えた何か別のものを唄想していらっしゃるのではありません。普通の生命体は主が そのように膜想されたことを真似てはならないのです。

主は腹想を終えられると、澄んだ神聖な水で体浴することを早朝の決まりとしてい らっしゃいました。そして泳浴がすむと、清潔な衣装に着替え、日々の宗教儀式を行 われます。主は様々な宗教儀式を行われましたが、一日の最初にはまず祭火に捧げ物 をし、ガーャトリー・マントラを静かにお唱えになりました。主クリシュナは理想的 な世帯者として、世帯者が行うべき宗教儀式を厳格に執り行われました。太陽神やそ の他の神々は主の体の各部分であることがヴェーダ文典に述べられていますが、主は 陽が昇ると太陽神に祈りをお捧げになりました。その他にも世帯者の義務として、 神々、偉大な聖者、祖先に敬意を捧げることなどが定められていますが、主はそれらすべてに従われました(| 

『バガヴァッド・ギーター』に述べられているように、主にはこの世界で行うべき 義務はないのですが、この物質界で理想的な生活をしている普通の人のようにふるまっ ていらっしゃった主は、ヴェーダ儀式の原則に従って、神々に敬意をお捧げになった のです。神々や祖先に敬意を示す儀式はタルパナ(「喜ばせる」という意味)と呼ば れています。祖先の中には他の惑星に生まれている人もいるでしょうが、このタルパ ナを行えば、祖先たちはどこにいたとしてもたいへん幸福になれるのです。家族の者 たちを幸福にすることは世帯者の務めです。タルパナを行うことによって祖先を幸福 にすることが出来るのです。主シュリー・クリシュナは完壁な模範的世帯者としてこ のタルパナの儀式に従い、そして家族の目上の年長者にも尊敬の礼を捧げられました。 

主の次の義務はブラーフマナに牛を施すことでした。主クリシュナは一万三千八十 四頭もの雌牛を毎日施していらっしゃいました。その一頭々々が絹の被いと真珠のネッ クレスで飾られ、角には黄金の板、ひづめには銀の蹄鉄が輝いています。どの牛も生 まれたばかりの子牛が近くにいて、乳がいっぱいでした。どれもよく慣れた温和な牛 です。牛を施されたブラーフマナは、それと一緒に、絹の衣装の他にも鹿の皮や胡麻
も充分に受け取りました。主の第一の務めは牛とブラーフマナを幸福にすることなの で、主はゴー・ブラフマナ・ヒターャ・チャとして広く知られています。このように、 主はブラーフマナに牛を施し、豪華な装飾品と様々な品々もお与えになったのです。 その後、すべての生命体の幸福を願って、牛乳、蜂蜜、ギー(浄化されたバター)、 黄金、宝石、炎などの吉兆な品々にお触れになりました。主は、超越的な体のために、 もともと美しいお方なのですが、黄色い衣装とコウストゥバの宝石のネックレスをお 召しになりました。花輪を首におかけになり、体に白檀を塗り、様々な化粧品や装飾 品で自分をお飾りになりました。主の超越的な体に触れて、装飾品自体がひときわ美 しさを増したと言われています。装飾品をお召しになった後、主は雌牛と子牛の大理 石の像をご覧になり、至上主の寺院やそして時には主シヴァなどの神々の寺院にも参 拝されました。多くのブラーフマナたちが朝食を取る前に至上主クリシュナに会いに 来ました。ブラーフマナたちが主に会いたいと思って訪ねて来ると、主は彼らを歓迎 来ました壷一 されました。

主の次の務めは、様々なカーストに属する街の住民や宮殿に住む人々を喜ばせるこ とです。主は人々の様々な望みをかなえ、喜びをお授けになりました。人々が幸福でいる様子を見て主も大いに満足されました。主は、捧げられた花輪蔦きんま。白檀 や良い香りの化粧品などをお配りになります。まず最初にブラーフマナや年長者に配 られ、次に王妃、大臣たちに配られました。後にまだ残っているものがあれば、自分 でお使いになりました。これらの日々の義務を終えられた頃に、主の御者であるダー ルヵが豪華な馬車を駆ってやって来て、主の前に立ち両手をあわせます。馬車が準備 出来たというダールヵの合図で、主は宮殿から出ておいでになり、ウッダヴァとサー まぱゆ テャキに伴われて馬車に乗り込まれます。その様子は、太陽神が馬車に乗り、目映い 光輝とともに毎朝世界に降臨する様子に似ていました。主が宮殿を発とうとしていらっ しゃると、妃たちが女らしい姿で主を見送ります。主は妃たちの挨拶に笑顔でお応え になりました。すると妃たちのハートは魅了されてしまい、主とのしばしの別れに苛土守れ、ました迄

主はそれからスダルマー(会議堂)をお訪ねになります。前に述べたように、この スダルマーの会議堂はもとは天界の惑星にあったのですが、ドワーラカーに移されま した。この会議堂の一つの不思議は、そこに入った者は誰もが六種類の苦しみ(飢え、 渇き、嘆き、幻想、老齢、死)から自由になることです。この六つの苦しみは物質存在の良です。スダルマーの会議堂にいる限りこの六つの民から自由でいることが出来 るのです。主は一万六千のそれぞれの宮殿で別れをお告げになり、その後また一人に なった後、他のヤドゥの面々とともにスダルマー会議堂にお入りになります。会議堂 に入った後、一段と高い王座にお座りになります。すると主から超越的な光輝が発せ られます。ヤドゥ王朝の大英雄たちに囲まれた主クリシュナの姿は、星々に囲まれた 空の満月にも似ていました。専門の道化師、踊り手、奇術師、バレリーナたちが会議 堂にいて、主が座に就かれると、それぞれの芸を披露して主を喜ばせます。朝の新鮮 な気分を引き立てるために、まず道化師が滑稽話をし、主は交際者たちとそのユーモ アをお楽しみになりました。俳優たちが劇を演じ、バレリーナの一人ひとりが最高の 芸を主に楽しんでもらおうと懸命に踊ります。これらの演芸に、ムリガンガ、ヴィー ナー、横笛、鐘がパークヴァジ(一種の太鼓)とともに色合いを添えました。楽器の 音とともに、ほら貝の声が吉兆な雰囲気を盛り上げます。スータ、マーガダなどの歌 手の専門家が歌い、他の者たちは踊りを披露し、歌手たちが献身者としてバガヴァー ンに尊敬に満ちた祈りを捧げます。学識あるブラーフマナが集まりの中にいれば、ヴェ ーダ讃歌を唱え、ヴェーダ讃歌の意味を出来る限り説明し、また時には有名な王たちの歴史を語りました。主は交際者たちとともに、ブラーフマナたちの話を満足してお 聞きになっていらっしゃいました。 

あるとき未知の客が会議堂の門に現れました。会議堂の中に誰一人としてその客を 知る者はいませんでした。客人は主クリシュナの許可によって会議堂へと通されるこ ととなりました。客人をお連れするように命じられた門衛に導かれ、客人は主の前に 現れ、両手をあわせて主に尊敬の礼を捧げました。ジャラーサンダ王が他の全王国を 征服したとき、多一数の王がジャラーサンダに不服従の態度を取り、服従しなかったそ れら二万の王は全員捕らえられ、投獄されたのです。門衛に伴われて主の前に現れた 客人は囚われの身となった諸王の代理人として伝言を伝えにやって来たのです。主に 紹介された後、客人はことの実情を説明し始めました。 

「おお、わが主よ、御身は超越的至福と知識の永遠のお姿でいらっしゃいます。で すから、この世界の中の物質的な者たちの言葉や思索によっては捉えられないお方で いらっしゃいます。御身の蓮華の御足に完全に服従した者だけが、御身の栄光をごく わずかですが知ることが出来ます。そしてただ御身の恩寵によってのみ、御身に服従 した者は物質の不安からすべて解放されるのです。主よ、私は御身に服従しておりますが、今なおこの物質界の二元性と幻想に留まりながら、生と死の繰返しを恐れてお ります。ですから御身の蓮華の御足に保護を求めに参りました。わが主よ、果報的活 動とその報いに永遠に縛られている生命体は、私の他にも数多くいることと存じます。 献身奉仕は、恩恵をもたらすばかりか、ハートに喜びを授けてくれるのですが、御身 に服従しない者たちは御身の教えに耳を傾けず、献身奉仕をしようとしません。それ どころか、クリシュナ意識の生き方に逆らうのです。そのために物質界の幻想エネル ギーに縛られ、三界の中でさまよってしまうのです。 

「わが主よ、御身の慈悲、御身の力を知り尽くせる者などいるでしょうか。御身は、 誰も打ち勝つことの出来ない力を持つ永遠時間として、常に混乱と不満に満ちた物質 的な者たちの飽くなき欲望を挫かれるのです。そのような御身の永遠時間の姿に尊敬 の礼を捧げます。親愛なる主よ、全世界の所有者である御身は、御身の完全拡張体で ある主バララーマとともに降誕されました。御身がこの姿で降誕されるのは、信念の ある者たちを守り、邪悪な者たちを滅ぼすためだと言われています。では、どうして 邪悪なジャラーサンダのような者が御身の権威に反して、私どもを苦しめることが出 来るのでしょうか。私どもは今の状況に戸惑うばかりで、なぜ苦しめられているのか自分でも理解出来ません。自分自身の過去の報いのために、ジャラーサンダから苦し められることを運命づけられているのかも知れません。しかし御身の蓮華の御足に身 を委ねた者は、誰であってもただちに罪の報いから解き放たれることが啓示教典に調 われています。囚われた諸王を代表して、心から御身に保護を求めに参りました。ど うか私どもをお守り下さい・私どもは真に人生を理解することが出来ました。今こそ 王ではありますが、それは過去の敬虚な行いの結果に過ぎません。それはちょうど、 ジャラーサンダに囚われている今の苦しみが過去の不敬虚なふるまいの報いであるの と同じです。敬虚な行いも不敬度なふるまいも一時的なものに過ぎず、束縛された世 界では決して幸福を得ることが出来ないことを悟りました。物質自然の様式に応じて 私どもに物質の体が与えられているのです。私どもが不安に満ちているのはそのため です。物質的な生き方は、ただこの死んでいる体にさらに苦しみをかけるだけです。 果報的な活動の結果として、私どもは荷車引きの馬の立場に甘んじなければならない のです。私どもは束縛され、クリシュナ意識の喜びに満ちた生活を捨ててしまったの です。自分自身が愚の骨頂であることを悟ることが出来ました。私どもは物質的な活 動の報いの網に絡まっていたのです。今、御身の蓮華の御足に身を委ねます。御身の蓮華の御足によってこそ、果報的な活動の報いがすべて拭い去られます。御身の蓮華 の御足こそが物質的な苦楽からの解放を授けて下さるのです。 

「親愛なる主よ、私どもは御身の蓮華の御足に身を委ねた魂でございます。ですか ら、ジャラーサンダの姿で私たちに襲いかかってくる、果報的な活動の報いの呪縛か らお救い下さい・主よ、御身もご存じでいらっしゃいますように、一万頭の象の力を 持つジャラーサンダは、あたかもライオンが羊の群を催眠術にかけるように、私ども を捕らえてしまいました。御身はこれまでにジャラーサンダと十八回に渡って戦を交 h骸ょや7が えられました。そのうち十七回は御身がジャラーサンダの比類のない軍力を凌駕して、 大勝利を納められました。しかし十八度目の戦いでは、御身は人間としてのふるまい をお示しになり、外見上は御身が敗北に帰したかのように見えました。主よ、無限の 力、物量、権威を持っていらっしゃる御身をジャラーサンダが破ることなど決して出 来ることではありません。御身に対等な者は誰一人としておりません。また御身を凌 ぐ者もおりません。十八度目の戦いで御身があたかも敗北されたようにふるまわれた のは、人間としての様子をお現しになったからです。残念なことに、愚かなジャラー サンダは御身の良を理解することが出来ず、それ以来、力と権力のために倣慢になってしまいました。特に言私どもが御身の献身者であり、御身の支配力に従っているこ とを充分承知の上で、捕らえ投獄してしまったのです。 

「私どもの嘆かわしい境遇を語って参った次第でございますが、ご賢察の上、御身 のお考えに従って対処して下さい。囚われの諸王の伝言者として、そして代表者とし て、御身に伝えるべきを伝え、祈りの言葉をお捧げ申し上げました。諸王は御身の蓮 えつけん 華の御足に身を委ねるために、御身の謁見を賜らんと強く望んでおります。主よ、ど うか慈悲をお授け下さい。私どもに、最善の処置をお取り下さい」 

諸王の代表者としてやって来た客が主に訴えているまさにその時、偉大な聖者ナー ラダが姿を現しました。ナーラダは偉大な聖者であったために、その髪は黄金のよう に輝いていました。ナーラダが会議堂に入って来ると、あたかも太陽神が直接入って 来たかのようでした。主クリシュナは主ブラフマーや主シヴァからも崇拝される主人 でいらっしゃいますが、聖者ナーラダが姿を現すや、主は大臣や秘書たちとともに座 から立ち上がり、偉大な聖者を迎えるために頭を下げて尊敬の礼を捧げられました。 偉大な聖者ナーラダが心地好い座に座ると、主クリシュナは聖者を歓迎する際の様々 な祭具をもってナーラダを崇拝し、そしてナーラダジーを満足させようと、快い声でお話しになりました。 

「神々の中の偉大なる聖者よ。今、この三界にはまったく問題がないことと存じま す。御身はこの宇宙の上位、中位、低位のすべての惑星系を自由に行き来していらっ しゃいます。至上主のこの宇宙顕現の中のすべてをご存じでいらっしゃる御身にぉ会 ごと いする毎、宇宙の中の出来事をお聞きすることが出来ます。御身はすべてをご存じで いらっしゃいますので、一つお尋ねしと溝7ございます。パーンダヴァたちは、五人と も変りなくやっておりますでしょうか。1ディシュティラ王はどのような行政の計画 を立てていることでしょうか。パーンダヴァたちが今どのようなことをしようとして いるのか、どうかお聞かせ頂きとうございます」 

偉大な聖者ナーラダは答えました。 「親愛なる主よ、御身は至上主の創造による宇宙顕現のことをお聞きになりました が、御身こそがすべてに遍在する創造者でいらっしゃることはよく存じ上げておりま す。御身のエネルギーは遍く行き渡り、あまりにも想像を絶したものですので、この 宇宙を支配する主ブラフマーでさえも御身のエネルギーを知り尽くすことが出来ませ ん。わが主よ、火はすべての者の中にありますが、その火を直接見ることは誰にも出来ません。それと同じように、御身は想像を絶したエネルギーによってすべての者の 心臓の中にスーパーソウルとしての姿で住んでいらっしゃいます。すべての者は束縛 された生活の中で物質自然の三様式に支配されているために、その物質的な目では御 身がすべての場にいらっしゃることを見ることが出来ません。しかしながら御身の恩 寵によって、御身の想像を絶したエネルギーの働きを幾度も目のあたりにすることが 出来ました。ですから、すべてをご存じでいらっしゃる御身がパーンダヴァたちのこ とをお尋ねになったとき、さして驚きは致しませんでした。主よ、御身は想像をはる かに越えたエネルギーによって宇宙顕現を創造、維持し、再び破壊されます。この物 質界は精神界の影として映し出されたものに過ぎないのですが、ただ御身の想像を絶 したエネルギーによって、あたかも真実であるかのように見えるのです。御身が将来 に何を計画していらっしゃるか、誰も想像することすら出来ません。御身の超越的な 立場を知ることは誰にも出来ません。私自身は、ただ何度も繰返し御身に尊敬の礼を 捧げるばかりでございます。自分が体であると考えているために、誰もが物質的な欲 望の衝動に動かされ、ただ生死の繰返しの中で次の体に生まれさせられています。自 おり 分が体であると思い込んでいるために、物質の体という椎からどのようにすれば出ら

「親愛なる主よ、御身は至上主の創造による宇宙顕現のことをお聞きになりました が、御身こそがすべてに遍在する創造者でいらっしゃることはよく存じ上げておりま す。御身のエネルギーは遍く行き渡り、あまりにも想像を絶したものですので、この 宇宙を支配する主ブラフマーでさえも御身のエネルギーを知り尽くすことが出来ませ ん。わが主よ、火はすべての者の中にありますが、その火を直接見ることは誰にも出来ません。それと同じように、御身は想像を絶したエネルギーによってすべての者の 心臓の中にスーパーソウルとしての姿で住んでいらっしゃいます。すべての者は束縛 された生活の中で物質自然の三様式に支配されているために、その物質的な目では御 身がすべての場にいらっしゃることを見ることが出来ません。しかしながら御身の恩 寵によって、御身の想像を絶したエネルギーの働きを幾度も目のあたりにすることが 出来ました。ですから、すべてをご存じでいらっしゃる御身がパーンダヴァたちのこ とをお尋ねになったとき、さして驚きは致しませんでした。主よ、御身は想像をはる かに越えたエネルギーによって宇宙顕現を創造、維持し、再び破壊されます。この物 質界は精神界の影として映し出されたものに過ぎないのですが、ただ御身の想像を絶 したエネルギーによって、あたかも真実であるかのように見えるのです。御身が将来 に何を計画していらっしゃるか、誰も想像することすら出来ません。御身の超越的な 立場を知ることは誰にも出来ません。私自身は、ただ何度も繰返し御身に尊敬の礼を 捧げるばかりでございます。自分が体であると考えているために、誰もが物質的な欲 望の衝動に動かされ、ただ生死の繰返しの中で次の体に生まれさせられています。自 おり 分が体であると思い込んでいるために、物質の体という椎からどのようにすれば出られるのか知らないのです。わが主よ、御身はいわれのない慈悲によって降誕し、光り 輝く栄光に満ちた様々な超越的な遊戯をお示し下さいました。私はただ御身に尊敬の 礼を捧げるばかりでございます。わが主よ、至上のパラン・ブラフマンなる御身が普 通の人間のようにふるまわれるのは一つの遊戯で、ちょうど俳優が舞台上では別の人 物を演じるようなものです

御身は従兄弟のパーンダヴァたちに好意的なお方として ふるまって、彼らのことをお尋ねになったのです。ですから御身の従兄弟たちのこと について申し上げましょう。どうかお聞き下さい。まず最初にマハーラージ・ュディ シュティラのことをお知らせ致しましょう。1ディシュティラ王は、最高の物質惑星 ブラフマローカでしか手に入れることが出来ないような富と繁栄を楽しんでいて、さ らに望むべき富はもはやありません。王はラージャスーャ祭を催そうと望んでいるの ですが、その目的はただ御身の交際を得て、御身を喜ばせることだけです

「1ディシュティラ王は非常に一象華な生活をしていて、この地上にありながらブラ フマロー‐ヵの富をすべて掌中に納め、完全に満足しています。しかし今は御身のいわ れのない慈悲を得るために、御身を崇拝しています。ですから王の望みをかなえて下 さいますよう、私からもお願い申し上げます。親愛なる主よ、1ディシュティラ王が大供儀祭を行えば、世界中の偉大な王ばかりではなく神々も集まって来ることでございましょう。

一わが主よ、御身が至上ブラフマンであり§バガヴァーンでいらっしゃいます。聞 く、唱える、思い出すという定められた方法で献身奉仕を行う者は、物質自然の様式 の汚れから浄化されます。ですから御身を直接見、御身に直接触れることが出来る者 が浄化されることは言うまでもありません。わが主よ、御身は吉兆なすべてのものの 象徴でいらっしゃいます。御身の超越的な御名と名声は、高位、中位、低位の惑星系 の全宇宙に広まっています。御身の蓮華の御足を洗う超越的な水は高位の惑星系では マンダーキニーとして、低位の惑星系ではボーガヴァティー、そしてこの地球惑星系 ではガンジスと呼ばれています。この超越的な聖水は全宇宙を流れ、流域全体を浄化 するのです」

偉大な聖者ナーラダがドワーラカーのスダルマー会議堂に到着する一則主クリシュ ナは大臣や秘書たちとジャラーサンダの王国をどのように攻撃するか考えていらっ しゃったのです。そのような時にナーラダが主クリシュナにハスティナープルに行っ てマハーラージ・ユディシュティラの大ラージャスーャ祭に参加するように願ったのですから大臣や秘書たちはナーラダの提案にあまり賛成ではありませんでした。主 クリシュナは主ブラフマーでさえも支配していらっしゃるお方なので、交際者たちの 意図をよく理解していらっしゃいました。そして交際者たちを慰めるために、微笑み ながらウッダヴァにおっしゃいました。 「親愛なるウッダヴァょ、君は親友で、いつも私のことを考えてくれている。君の 考えが常に正しいものであると信じているので、君の目を通してものを見たいと思う のだが、君はもうすでに状況はすべて理解したことだろう。そこで、君に相談だ。今 私がすべきことは何だろうか。君を信頼しているので、君の忠告に従うことにするよ」 主クリシュナは普通の人間のようにふるまっていらっしゃるのですが、過去、現在、 未来のすべてを知っていらっしゃるということを、ウッダヴァはすでによく知ってい ます。しかし主がウッダヴァに相談しようとしていらっしゃったので、主への奉仕と してウッダヴァは話し始めました。

一グリシュナ』第六十九章一主クリシュナの日常生活」に関するバクティヴェーダンタ解説終了。 

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