第80章
主クリシュナと スダーマ ブラーフマナ
バリークシット王はシュカデーヴァ・ゴースワーミーから主クリシュナと主バララ ーマの遊戯について聞いています。主の遊戯は超越的な喜びを与えるので、パリークシッート王は言いました○一倉師よ毒神の愛と解放を同時に授けるお方痕ガヴァーン・クリシュナの献身者にな れば自然に解放を得ることが出来るので、解放のために特に努力する必要はありませ ん。無限なるお方主クリシュナの遊戯には限りがなく、主による全宇宙顕現の創造、 維持、破壊にも際限がありません。ですから師がまだお話しになっていないことを聞 きとうございます。おお主人よ、この物質界の束縛された魂は感覚満足の喜びに幸福 を求めようとしているので決して満足を得ることが出来ず、ハートの中は快楽を求め る思いに満ちています。しかし、主クリシュナの超越的な話を聞くならば自然と物質 的な感覚満足に左右されなくなるものなのです。知性ある人なら、そのような主の超 越的な話題を何度も繰返し聞くことを決して拒むことが出来ません。ただ聞くだけで 超越的な喜びに浸りきり、物質的な感覚満足に魅きつけられなくなるのです」 。
この言葉の中で、マハーラージ・パリークシットはヴィシャンナとヴィシェーシャ ジュニャという二つの重要な言葉を使っています。ヴィシャンナとは「不機嫌」を味します。物質的な人々は完全な満足を得ようとして様々な手段や方法を試みるので すが、不機嫌から脱することが出来ません。超越主義者も不機嫌になることもあると 思う人もいるかも知れませんが、パリークシット・マハーラージはこのヴィシェーシャ ジュニャという語を使っています。超越主義者にはヴァィシュナヴァとマーャーヴァ ーディーという二種類があり、ヴィシェーシャジュニャは超越的な多一様性に関心を持 つヴァイシュナヴァを意味します。献身者は主の人格的な活動を聞いて喜びを得ます が、マーャーヴァーディーは主の非人格的様相に関心があるのであって、主の人格的 活動には表面的な関心を示すに過ぎません。ですからマーャーヴァーディーは主の遊 戯に触れるにもかかわらず、そこから得ることが出来るはずの恩恵を完全に悟ること が出来ず、果報的活動を行っているために、物質的な人々と全く同じように不機嫌な 状態に留まらざるを得ないのです。
パリークシット王は言葉を続けます。 「主の超越的な性質を語ってこそ、話す能力が完成します。手の働きは、手を使っ て主への奉仕を行った時に完成します。同じように、完全なクリシュナ意識でクリシュ ナのことを考える時、心の平安を得ることが出来ます。これは何も人は偉大な思想家でなければならないという意味ではありません。ただ絶対真理クリシュナがパラマー トマーとしての姿をあらゆる場所に遍く現していらっしゃることを理解しさえすれば よいのです。クリシュナがパラマートマーとしてすべての場所に、原子の中にさえも いらっしゃることをただ理解するだけで、心の作用つまり思考、感情、意志の働きを 完成させることが出来るのです。完壁な献身者は、物質的な視点で物質界を見ること はありません。なぜなら、崇拝すべき主がパラマートマーの様相ですべての場所にい らっしゃることを見ているからです 。
耳の働きは主の超越的活動を聞くことによって完成し、頭の働きは主自身や主の代 表者にぬかずく時に完成する、とマハーラージ・パリークシットは語っているのです。 実際に主はすべての者のハートの中にいらっしゃるので、高い段階にある献身者は体 が主の寺院であることを知っていて、すべての生命体に敬意を払います。それは第一 級の献身者の段階であって、すべての人がただちにそのような段階に達することが出 来るわけではありません。第二級の献身者はヴァイシュナヴァ(主の献身者)をクリ シュナの代表者であると考え、そして第三級の献身者すなわち初心の献身者は、寺院 内の神像とバガヴァーンの直接の現れであるグルにぬかずきます。ですから初心段階、中間段階、最高完成段階のいずれにおいても、頭を主自身や主の代表者にぬかずかせ ることによって頭の働きを完成させることが出来、そして目の働きも主やその代表者 を見ることによって完成されます。このように体の各部分は、ただ主やその代表者の 奉仕に使うだけで、それぞれの最高完成を得ることが出来ます。それ以上のことは何 も出来ないという人は、ただ主自身や主の代表者の前にぬかずき、チャラナームリタ (主やその代表者の蓮華の御足を洗った水)を飲めばよいのです。 ヴァイシュナヴァ哲学を深く理解していたマハーラージ・パリークシットの言葉を 聞いて、シュカデーヴァ・ゴースワーミーは献身的な枕惚に浸りました。これまで主 の活動を語ってきたシュカデーヴァ・ゴースワーミーは、今マハーラージ・パリーク シットからさらに語るように頼まれ、喜びに満ちて『シュリーマド・バーガヴァタム』拳ゼー話h産枕峰〃一よした主クリシュナにはブラーフマナの親友がいました。完壁なブラーフマナとして高い 超越的な知識を持っていたために、彼は物質的な快楽には関心がなく、穏やかな暮ら しの中で、感覚を最高に支配していました。このように、彼は完壁な献身者だったの です。なぜなら完壁な献身者でなければ最高段階の知識を得ることが出来ないからです。
『バガヴァッド・ギーター』に述べられているように完壁な知識に到達した人 はバガヴァーンに服従します。つまり人生をバガヴァーンの奉仕のために捧げた人は 完壁な知識の段階に達しているのです。完壁な知識の結果として、人は物質的な生活 に対する執着がなくなります。無執着とは、物質的な活動に魅きつけられている感覚 を完全に支配することです。献身者の感覚はしだいに浄化され、そして浄化された段 階では主の奉仕のために使われます。これが献身奉仕の完壁な段階です。
このブラーフマナは世帯者だったのですが、物質的な富を得て快適な生活をしよう という考えはなく、ただ自然に自分のもとにやって来る収入だけで満足していました。 完全な知識を持つ人はそのような性質を持っていて、運命で定められた以上の幸福は 決して得られるものではないことを知っています。この物質界では、自分のもとにやっ て来る喜びや苦しみの量は予め定められていて、物質的な生活の幸福は増やすことも 減らすことも出来ないのです。ですから、このブラーフマナは物質的な幸福をさらに 求めようとはせず、ただクリシュナ意識の向上に努力していました。着る物も粗末で、 妻にも良い衣装を与えることが出来なかった彼は、たいへん貧しい生活をしているよ うに見えました。経済状態があまり良くなかったため、妻にも充分な食事を与えることが出来ず、二人とも痩せこけていました。妻は自分のことは全くかまわず、敬度な ブラーフマナである夫にただいつも気を配っていました。妻は具合が良くないために、 体が震えています。そこで自分の主人に指図をするようなことはしたくなかったので すが、あえてお願いしました。
このブラーフマナは世帯者だったのですが、物質的な富を得て快適な生活をしよう という考えはなく、ただ自然に自分のもとにやって来る収入だけで満足していました。 完全な知識を持つ人はそのような性質を持っていて、運命で定められた以上の幸福は 決して得られるものではないことを知っています。この物質界では、自分のもとにやっ て来る喜びや苦しみの量は予め定められていて、物質的な生活の幸福は増やすことも 減らすことも出来ないのです。ですから、このブラーフマナは物質的な幸福をさらに 求めようとはせず、ただクリシュナ意識の向上に努力していました。着る物も粗末で、 妻にも良い衣装を与えることが出来なかった彼は、たいへん貧しい生活をしているよ うに見えました。経済状態があまり良くなかったため、妻にも充分な食事を与えることが出来ず、二人とも痩せこけていました。妻は自分のことは全くかまわず、敬度な ブラーフマナである夫にただいつも気を配っていました。妻は具合が良くないために、 体が震えています。そこで自分の主人に指図をするようなことはしたくなかったので すが、あえてお願いしました。
「幸運の女神の夫でいらっしゃる主クリシュナがあなたの親友でいらっしゃいまし たね。あなたは、いつも献身者を助けて下さる主クリシュナの献身者なのです。自分 は主に全然献身奉仕をしていないとお考えかも知れませんが、あなたはいつも主に身 を委ねていらっしゃるではありませんか。主は身を委ねた献身者をお守り下さるばか りか、自分自身もヴェーダ文化に完全に従って、いつもブラーフマナ文化に好意を持っ ていらっしゃるので、正しいブラーフマナにたいへん優しいお方です。バガヴァーン が親友なのですから、あなたほど恵まれた人は他にはいますまい。ただ主クリシュナ だけに身を委ねたあなたのような人にとっては、頼れるのはただ主クリシュナだけで す。あなたは聖者で、学識もあり、感覚を完壁に支配していらっしゃいます。主クリ シュナだけがただ一つの救いです。ですから主クリシュナに会いに行って下さいませ んでしょうか。主クリシュナなら、きっと貧しい暮らしが分って下さるはずです。私たちは世帯者なのですから、お金がなければ困り果ててしまいます。こんな暮らしを していることを分って下されば、きっと何不自由ない生活が出来るように取り計らっ て下さることでしょう。今ボージャ、ヴリシュニ、アンダカ王家の王様でいらっしゃ る主クリシュナは、都のドワーラカーの外には用事がなく街からは決してお出になり ません。主のような優しくて寛大なお方は献身者にすべてを与えるばかりでなく、自 分自身でさえもお与え下さるのです。ですから豊かな暮らしをわずかばかり授けて下 さったとしても不思議なことはありません。もちろん迷いがちな献身者には豊かな暮 らしはお授けにはならないでしょうが、あなたがどれほど献身奉仕に徹しているかは ご存じでいらっしゃるはずです。ですから、きっと暮らしに困らない程度の富はお授 け下さるのではないでしょうか」
妻は何度も繰返し、慎ましくそして控え目に、主クリシュナのところに行って下さ いと頼みました。ブラーフマナは物質的な恩恵を主シュリー・クリシュナに求める必 要などないと考えながらも、度重なる妻の願いに説得されて、「もし行けば、主に直 接会うことが出来る。別に豊かな暮らしが出来るようにお願いしなくとも、主にお会 い出来る良い機会じゃないか」と主を訪ねることにしました。そして、クリシュナ捧げられるような物は何かないかと尋ねました。友人のクリシュナに何か贈り物をし なければならなかったからです。妻はすぐに近所の友だちの家を回り、手のひらに四 ほ.しいい すくいほどの乾飯を集めて来ると、小さい布にくるんでクリシュナヘの贈り物として 手渡しました。ブラーフマナは贈り物を手にして、すぐに主と会うためにドワーラカ ーヘと旅立ちました。道すがら主クリシュナに会えることで胸が一杯になり、心の中 はクリシュナのことだけしかありませんでしたす。
もちろん普通の人はヤドゥ王朝の諸王が住む宮殿に気安く入ることは出来ないので すが、ブラーフマナは入城が許されていました。彼は他のブラーフマナたちとともに 敷地内で歩みを進めるうちに、軍隊の宿営を三つほど通り過ぎました。それぞれの宿 営には大門が三つあり、それらをくぐって行くと、主の一万六千の妃が住んでいる一 万六千の大宮殿にたどりつきました。豪華に飾られた宮殿に入って行くと、まるで超 越的な喜びの海に泳ぎながら、超越的な喜びの海に潜ったり浮かんだりするような気 分でした。
その時、王妃ルクミニーの寝台に腰を下ろし●ずっと遠くのほうからやって来るそ のブラーフマナをご覧になっていた主クリシュナは、旧友が訪ねて来てくれたことをお知りになり、すぐに腰を上げて蔦友人を歓迎しに出て行かれました』そして歩み寄っ て両腕で旧友を抱きしめられました。主クリシュナはすべての超越的知識の源でいらっ しゃるにもかかわらず、旧友の貧しいブラーフマナとの再会にたいへんお悦びになり、 崇拝すべき客人をもてなすにふさわしく、その古い友人を自分の寝台の縁の上に座ら せ、果物や飲物を自分自身で持って来てお捧げになりました。主は最高の純粋さをお 持ちでいらっしゃるのですが、人間としてふるまっていらっしゃったので、ブラーフ マナの足をお洗いになった後、その水を自分の頭にかけて自分自身をお清めになりま した。そしてブラーフマナの体に白檀、アグル、サフロンなどのいろいろな香油を塗っ た た後、いつもと同じように様々な香を焚き、ともしびを捧げてアーラティ儀式を行わ れました。ブラーフマナに心尽くしの歓迎をされた主は彼が食事を終えた後、 「おお親友よ、お越し頂けましてたいへん光栄ですす。
ブラーフマナはたいへん貧しい暮らしをしていたので霊着ている物は粗末で汚れては,ろ いて、所々綻びがあり、体つきも痩せこけていて、あまり清潔そうにも見えません。 弱々しい体には骨が浮き出てはっきりと見えています。幸運の女神ルクミニーデーヴィ-がチャマラでブラーフマナを扇ぎ始めました雪宮殿の女性たちは。主クリシュナが今のつ そのようなブラーフマナを篤く歓迎される様子を見て、驚くばかりです。どうして、 裕福でもなく、清潔でもなく、着る物も粗末なブラーフマナを主が直々に歓迎される のだろうかといかにも謡しげに思いながらも、その人物が普通の魂でなく、敬度で偉 大な人に違いないことは理解していました。もしそうでなければ、幸運の女神の夫、 士のつ 主クリシュナからそれほど篤いもてなしを受けることはないでしょうし、それに偉大 な人でない限り、主の寝台に縁に直接座っていられるはずがありません。普通、主ク リシュナが抱きしめられるのは主バララーマとルクミニーだけなのですが、主がまる で主バララーマのようにそのブラーフマナを抱きしめられたので、女性たちの驚きは 際限がありませんでした。
「おお親友よ、最も知性に優れ、宗教の法を知り尽くしたブラーフマナよ・学舎で よく学び、師によく仕えた後、家に帰ってからは立派な女性と結婚したんでしょうね。 昔から君は豊かな暮らしをしようなんて全然考えたこともなかったし、そんなものしいとも思っていなかった。だから今は、経済的に何か入り用なものがあるんじゃな いかい。この物質界では、豊かな暮らしに執着していない人なんてそんなにいるもん じゃないよ。執着のない人は、自分の楽しみのために財産を貯め込むようなことはし ないけど、理想的な世帯生活の模範を示すために、時にはお金を蓄えることがある。 それは、自分の蓄えを正しく配ることが理想的な世帯者であり、立派な献身者である ことの証だということ示すためだよ。そんなふうな理想的な世帯者は私の足跡に従っ まなびや ている人たちだ。おお親友よ、ブラーフマナよ、学舎で一緒に寝起きしていたあの頃 まなびや のことを覚えているかい。私たちが今知っていることは、すべてあの学舎で学んだことなんだよ。
「学生時代に正しい師のもとで充分に教育を受けた人は、将来人生を成功させ、難 なく無知の海を渡り切り、幻想エネルギーの影響を受けなくなる。親友よ、この体を 受けることが出来たのは父の慈悲なんだから、父親が最初の先生だ。だから父親が自 然のグルなんだよ。次のグルは超越的知識に入門を授けてくれるグルで、そのグルは 私クリシュナと同じように崇拝を受けるべきだ。グルは一人だけではなく、弟子に精 神的知識を授けるグルはシクシャーグルで、入門を授けるグルはデイクシャーグルと呼ばれている。シクシャーグルもデイクシャーグルも、私の代表者だ。教えを授かる グルはたくさんいてもかまわないけど、入門を授かるグルは一人でなければならない・ グルから慈悲を授かり正しい知識を学んで、物質存在の大海を乗り切る人こそが人間 として生まれた機会を正しく生きている人なんであって、そのような人は人生の本当 の価値が精神的完成を得て精神界に帰ることだと知っているんだよ。
「おお友よ、私がすべての者の心臓に住むスーパーソゥルで、私の直接の命令によっ て人間社会はヴァルナとアーシュラムの原則に従っている。私が『バガヴァッド・ギ ーター』で話しているように、人間社会は人それぞれの活動と性質によって四つのヴァ ルナに分けられているけど、同じよ露7に、人生も四つの段階に分けなければならない。 まず最初の学生期では、正しい学生になるように努めなければならない。正しい知識 を身につけて、ブラフマチャーリャの誓いを守れば、感覚満足のために道からそれる ことなくグルの奉仕に人生を捧げることが出来るようになる。ブラフマチャーリーは 苦行を行わなければならないのだよ。世帯者は規則に従って感覚満足をすることが出 来るけど、人生には第三番目の段階があって、いつまでも世帯生活をしていてはいけ ない。第三の段階では、世帯生活の執着から離れ、以前のブラフマチャーリー生活行っていた苦行に再び戻り、その後物質的な生活から離れれば、サンニャースの段階 に入ることが出来るようになるんだよ。
「私はすべての生命体のスーパーソウルとしてすべての者のハートに座っているの で、すべての階級のすべての段階にいるすべての人の活動を見ている。どのような階 級にあったとしても、グルに命令された義務に真剣に従い、グルの奉仕に人生を捧げ い‐と ている人を私はたいへん愛しく思っている。グルの指導の下でブラフマチャーリーの 生活を続けられるなら、それは極めて良いことだけど、ブラフマチャーリーの生活で なまぴや 性の衝動に悩まされる人は、グルの望みに従ってグルを喜ばせてからグルの学舎を去っ て行くことになっている。つまりヴェーダのしきたりでは、弟子はグルダクシナー(グ ルヘの捧げ物)をグルに贈り、宗教儀式に従って妻を受け入れて、世帯生活に入るこ ルヘの捧げ物)をグルF とになっているんだよ」
学識あるブラーフマナの友人とお話しになっていた主クリシュナのこれらの言葉は、 人間社会にとっての良い導きです。ヴァルナとアーシュラムの文化を高めようとしな い社会は洗練された動物の社会と違いがありません。独身者が性生活に耽けることは 人間文明では決して認められることではありません。ブラフマチャーリー生活の原には厳格に従わなければなりません。つまり、グルの許可を得て正しい結婚をしなけ ればならないのです。独身生活での性生活は、結婚という制度のない動物生活と何ら違うところがありません。
人間生活の使命は精神界に帰ることなのですが、現代社会はその目的を満たそうと はしていません。その使命を果たすためには、ヴァルナとアーシュラムの制度に従わ なければならないのです。社会がヴァルナとアーシュラムの制度に厳格に従い続ける なら、人間としての使命を達成することが出来るようになります。しかし権威者の導 きがないならば、ヴァルナとアーシュラムの制度は人間社会をただ混乱させるばかり で、社会に平和と繁栄を望むことは出来なくなります。
クリシュナはブラーフマナの友人に話し続けられました。 「親友よ、学生の暮らしをしていたあの頃のことはまだ覚えているかい。グルの妃 の言いつけで森に薪を集めに入ったことがあったね。薪を集めながら、たまたま森の 深くに入ってしまって、道に迷ってしまった。突然、運悪く砂嵐が吹き荒れ、空に雨 雲がたれ込め稲妻が走り、雷が激しく鳴り出した。日も暮れて、真っ暗闇のジャング ルで迷子になったじゃないか。大雨が降って地面は水浸し。あのときはグルのアーシュラムに帰る道も見失ってしま(一た。ただの大雨じゃなくて大嵐だったね。砂嵐と大雨 で、ほんとうに困り果てた。どっちに向いて歩いても、ただ迷子になるばかりだった ね。手を取り合って帰り道を一緒に探し回ったんだけど、結局は一晩中森の中で迷い 続けた。次の朝早く、私たちの姿が見あたらないことをお知りになったグルデーヴァ が、私たちを探しに他の弟子たちを送って下さった。あの時はグルデーヴァ自身も弟 子たちと一緒に来て下さったね。グルデーヴァと兄弟弟子たちにジャングルの中で発 見された時は、二人とも途方に暮れていたよ。
「グルデーヴァは憐れみをもって言って下さったね。「おお弟子たちよ、私のため にこれほどまで苦労してくれたとは。誰もが自分の体ほど大切なものはないと思って いる。しかしグルに強い信念を持つ立派な弟子であるお前たちは、自分の体も省みず、 私のためにこれほどまでに苦労してくれた。グルを喜ばせるためにどんな苦労もいと わないお前たちのような立派な弟子を見て、とても嬉しい・そのようにしてグルの恩 に応えるのが、正しい弟子だ。弟子の義務はグルの奉仕に一生を捧げることだ。おお、 最高の再生者よ、お前たちのふるまいには大いに満足させられたので、祝福を授けて あげよう。お前たちの希望、大望がすべてかなうように。私から学んだヴェーダの教えがいつもお前たちの記憶に留り、お前たちがいつもヴェーダの教えを思い出し、難 なくヴェーダの教えを引用することが出来て、今世でも来世でも落胆することはないト手渥つ吟に』‐た一○
一おお友よ震グルのアーシュラムにいた頃のそんな出来事を覚えているかい・私た ちは、グルの祝福が得られなければ誰も幸福を手にすることは出来ないことをよく知っ ている。平安と繁栄を手にして、人としての務めを果たすことが出来るのは、ただグ ルの慈悲と祝福によるものだ」
主の言葉を聞いて、ブラーフマナは応えました。 「おお親愛なるクリシュナ。バガヴァーンであり、至上のグルでいらっしゃるお方 まなびや よ・私は恵まれたことにグルの学舎で御身と一緒に暮らすことが出来ました。ですか ら私にはヴェーダに規定された義務を行う必要はもはやありません。親愛なる主よ、 ヴェーダ讃歌、儀式、宗教的活動、人生の完成を得るために必要な方法、そして経済 発展、感覚満足や解放など、これらすべてはただ御身から授けられるものです。それ らの方法はただ御身を理解するためのものです。つまり、御身の体の各部分なのです。 しかしながら、御身は学生としてふるまわれ、グルの学舎で私たちと一緒にお過ごし
下さいました。つまり、これらすべての遊戯は御身の喜びのために行われたものなの です。さもなければ、御身が人間のふるまいをされるはずがありません」
以上一グリシュナ』第七十九章一主クリシュナとスダーマー・ブラーフマナ」に関 するバクティヴェーダンタ解説終了。