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第90章

まとめ主クリシュナの遊戯 

アルジュナはクリシュナとともに訪ねた精神王国から戻って来た後も、ただ驚くば かりでした。自分は普通の人間にすぎないのに精神界を直接見ることができたのはク おんらよう リシュナの恩寵だ、と彼は考えました・彼は精神界を見ただけではなく、物質宇宙の根 源なるお方、マハー・ヴィシュヌに会うことができたのです。クリシュナは決してヴリ ンダーヴァンからお離れにはならないと言われています。クリシュナはマトゥラーで は至上なるお方です。ドワーラカーではさらに至上なるお方で、そしてヴリンダーヴァ リーラー ンでは最も至上なるお方です。ドワーラカーで行なわれたクリシュナの遊戯はヴァー スデーヴァの姿によって行なわれたものです。しかしながら、マトゥラーやドワーラカー で現われたヴァースデーヴァの姿と、ヴリンダーヴァンに現われたクリシュナの本来 の姿には、何の違いもありません・本書の冒頭に述べたように、クリシュナが出現され る時は、主の完全拡張体やそのまた拡張体など、主のすべての化身が主とともにやって リーラー 来るのです。したがって、主の遊戯の中には、本来のクリシュナ自身ではなく、主の完全 拡張体やそのまた拡張体などの、様々な化身の姿によって行なわれたものもあります。 

アルジュナはクリシュナがカラノーダカシャーイー・ヴイシュヌに会いに精神界に行 かれたことに驚いていました・このことはシュリーラ・ヴィシュヴァナータ・チャクラヴァルティー・タークルの解説の中に詳しく述べられています。 マハー・ヴィシュヌの言葉から明らかなように、主ヴィシュヌはクリシュナに会うこ とを望んでいました。しかし、マハー・ヴィシュヌはブラーフマナの息子たちを連れ去っ たので、当然ドワーラカーに入って行ったはずです。もしドワーラカーに入ったのなら、 なぜそこでクリシュナに直接会わなかったのでしょうか。その答えは、クリシュナの許 しがなければ、精神界の原海に横たわっているマハー・ヴィシュヌでさえもクリシュナ の姿を見ることができないということです。マハー・ヴィシュヌがブラーフマナの息子 たちを連れ去ったのは、クリシュナが息子たちを連れ戻しにおいでになるようにする ための計画でした。そうすれば、マハー・ヴィシュヌはクリシュナに会うことができる わけです。すると、さらに疑問が浮かんで来ます。マハー・ヴィシュヌがクリシュナに会 うことができないなら、なぜ自分自身でドワーラカーにやって来たのでしょうか。つま り、なぜ交際者を送ってブラーフマナの息子たちを連れて来させなかったのでしょう か。その回答は、クリシュナがいらっしゃる限り、ドワーラカーの住民を苦しませるこ とは誰にもできないという点にあります。ブラーフマナの息子を連れ出すことはマハー・ ヴィシュヌの交際者にさえ不可能だったので、マハー・ヴィシュヌ自身がドワーラカー に行ったのですゞ

すると、もう一つ疑問が浮かびます。ブラフマンニャ・デーヴァ(ブラーフマナに崇拝 な されるお方)なる主ヴィシュヌが、なぜ九人の息子を次々と亡くすという苦しみを、あ えてブラーフマナにお与えになったのでしょうか。マハー・ヴィシユヌがためらわずに そうしたのは、あまりにもクリシュナに会いたかったからです。ブラーフマナを苦しめ ることは禁じられていますが、主ヴィシュヌはクリシュナに会うためなら、どんなこと でもするつもりでした。それほどクリシュナに会うことを熱望していたのです。ブラー フマナは息子が死ぬたびに宮殿を訪ね、ブラーフマナを守ることができなかった王の しょくむたいまん つ 職務怠慢を責めたて、王座に就く資格がないと非難しました。このようにブラーフマナ がクシャトリヤとクリシュナを非難したのもマハー・ヴィシュヌの計画で、クリシュナ がブラーフマナの息子を連れ戻しに来ざるを得ないようにさせるためのものでした。 

さらに、また一つ疑問が浮かびます。マハー・ヴィシュヌがクリシュナを見ることが できないのなら、なぜクリシュナはブラーフマナの息子たちを取り戻しにマハー・ヴィ シュヌの前に行かなければならなかったのでしょうか・その答えは、クリシュナがマ ハー・ヴィシュヌに会いたいと思ったのはブラーフマナの息子を連れ戻すためではな く、アルジュナのためだったということです。クリシュナとアルジュナの友情は非常に 親密なものであって、アルジュナが火に飛び込んで死ぬ覚悟を決めた時、主はアルジュナを完全に守ろうとされました。アルジュナはブラーフマナの息子たちを連れ戻せな ければ火に飛び込む決意だったので、クリシュナは「ブラーフマナの息子たちは私が連 れ戻すので心配しなくてよい」と彼に約束されたのです。 

主クリシュナがブラーフマナの息子たちを連れ戻す目的で主ヴィシュヌに会いに行 かれたのなら、なぜ九人目の子供までお待ちになったのだろうと思う人もいることで しょう。しかし、クリシュナがアルジュナとともにマハー・ヴィシュヌを訪ねようと決 心されたのは、九人もの息子がマハー・ヴィシュヌに連れ去られたために、アルジュナ が約束を守れず火に飛び込まなければならなかったからです。アルジュナはナラ・ナー ラーヤンの化身であるとも言われています。化身ナラ・ナーラーヤンもまた主ヴィシュ ヌの完全拡張体で、クリシュナとアルジュナが主ヴィシュヌに会いに行った時、アルジュ ナはナラ・ナーラーャンの姿で訪ねたのです。それはちょうど、クリシュナがヴァースⅢノーームフーデーヴァの姿でドワーラカーでの遊戯を行なわれたのと同じです。 

アルジュナは精神界を訪ねた後、物質界の中でも精神界においても、人が持つ一切の た主もの 富は主クリシュナからの賜物であると結論しました。主クリシュナはヴィシュヌ・タッ トヴァ(スヴァーンシャとも呼ばれる)やジーヴァ・タットヴァ(ヴィビンナーンシャと も呼ばれる)の様々な姿として化身されます。したがって、主はいずれの中でも、自分の望み通りに紹一越的な遊戯を行なわれます。しかし、主自身は変わることなく本来のバガ ヴァーンでいらっしゃいます。

クリシュナの遊戯のまとめが「シュリーマド・バーガヴァタム』の第十篇第九章に納 められていて、シュカデーヴァ・ゴースワーミーはそこでクリシュナがすべての富を持 ちながらドワーラカーでどのような幸福な暮らしをしていらっしゃったのかを説明し リーーフ- ています。クリシュナの富の一つである力については、すでに様々な遊戯に示されてい とみ るので、主がドワーラカーでどのような財と美をお現わしになったのかを示すことに ひずし」み しましょう。物質界は精神界の歪んだ反映であり、そこでは財と美が最高の富であると されています。クリシュナがこの地上でバガヴァーンとしてお現われになっていた時、 とみ ひってき 主の財と美の富は三界に匹敵するものがありませんでした・クリシュナには一万六千 百八人の美しい妃がいました。主が一万六千百八人もの美しい妃と結婚していらっ しゃった点は非常に重要です。これに関して、一万六千百八人の妻がいたのは主クリシュ ナだけであると記述されています。力強い王に何百人もの妃がいたという例が世界の 歴史上にないわけではありませんが、そのような王も同時にすべての妃を楽しむこと はできませんでした。しかし、クリシュナは同時に一万六千百八人もの妃をお楽しみに なったのです。

ョlギーも自分の体を分身させることができますが、ョ-ギーの分身と主クリシュ ナの拡張体は同じではありません。したがって、クリシュナはヨーゲーシュワラ(全ヨー ギーの支配者)と呼ばれています。ヴェーダ文典にはョ-ギーであるソゥバリ・ムニが 体を八つに分身させた例が見られますが、その分身はまさにテレビのようなものです。 テレビでは同じ画像が何百万台もの受信機に映し出されますが、各画像が異なったふ るまいをすることは不可能です。つまり、カメラの被写体が数多くの受信機に映し出さ れているだけなので、各画像はカメラの被写体とまったく同じ動きしかできせん。しか しクリシュナの拡張体は、テレビ画像やョ-ギーの分身のように物質的なものではあ りません。ナーラタはクリシュナの様々な宮殿を訪ねた時、主が様々な拡張体でそれぞ れの宮殿でそれぞれの妃と暮らしていらっしゃる様子を見ています。 

クリシュナはドワーラカーで幸運の女神の夫としてお暮らしになっていたと言われ ています。王妃ルクミニーは幸運の女神で、その他の妃はすべてルクミニーの拡張体で す。ヴリシュニ家の長である主クリシュナは、完全な富を現わす幸運の女神たちと楽し んでいらっしやったのです。クリシュナの妃たちは永遠の若さと美を保っていたと言 われています。クリシュナには孫や曾孫がいたのですが、クリシュナもクリシュナの妃 も、十六才から二十才くらいにしか見えませんでした。若い妃たちは美しく、その歩く姿は空を駆ける稲妻のようでした・妃たちはいつも素晴らしい装飾品と衣装を身に着 け、宮殿の屋上で踊り、そして歌や球技などの娯楽を楽しんでいました。物質界の女性 リー!ラーひず がテニスやダンスをするのは、バガヴァーン・クリシュナと妃たちの本来の遊戯の歪ん だ影のようなものです。 

ドワーラカーの街の通りはいつも象、馬、馬車や歩兵などの往来にあふれていました。 普通、象は仕事の際に酒が与えられます。ドワーラカーの象は多量の酒が与えられたた ま めに、通りに酒を撒き散らし、酔って歩きまわっていたと言われています。通りには豪 華な黄金の装飾品を身に着けた歩兵隊が行進し、馬や黄金の馬車が忙しく行きかって いました。ドワーラカーの街では、どこに目を向けても緑の公園や花園があり、木々に は果物や花々が豊かに実っていました・烏たちは素晴らしい果物や花々の樹木の周り つ〆」 かも に集い、そのさえずりと蜜蜂の羽音があいまって、快い響きが醸し出されます。ドワー ラカーの街にはあらゆる富が現われていました。ヤドゥ家の馬たちは自分が街の一番 の幸せ者だと思っていました・馬たちは超越的な街の様子を楽しんでいたのです。 

クリシュナの妃の一万六千百八の宮殿はドワーラカーの街中にあり、その美しい街 の究極的な享楽者である主クリシュナは一万六千百八の姿に拡張して、それぞれの宮 いとな 殿でそれぞれの家庭生活を営んでいらっしゃいました・各宮殿には美しい花園と湖があり水晶のように澄み渡った湖の水には青黄、白や赤の様々な色の蓮の花が浮かび か 蓮の花のサフラン色の花粉がそよ風に流され、そして美しい白烏、アヒルや鶴などが可 れん 憐な調べで歌っています。主シュリー・クリシュナは妃たちとともにそのような湖や川 にお入りになり、完全な喜びに包まれて§泳ぎをお楽しみになりました。幸運の女神で ある妃たちは湖の中で、あるいは恥泳ぎ、あるいは体浴しながら、主を抱きしめました。す ると妃たちの胸を飾るクンクムの赤い色に主の胸が朱に染まりました。 

マーヤーヴァーディーは精神界にそのような多様な喜びがあることを決して受け入 れようとはしませんが、主クリシュナはこの地上に降誕し、精神界には生きる喜びが満 ち満ちていることをお示しになりました。精神界の喜びが永遠であるのに対し、物質界 ひず の喜びは一時的でその歪んだ影にすぎません・主クリシュナがそのように楽しんでい らっしゃると、ガンダルヴァの音楽家たちが、ムリガンガ、太鼓、ケトルドラム、弦楽器 や管楽器などの音楽によって主を称えます。すると、あたりの雰囲気が祝祭のような陽 気さに満ちあふれました。そんな陽気な雰囲気の中で、主の妃たちが水鉄砲で主の体に 水を吹きかけると、主も同じくお返しになりました。クリシュナと妃たちがこのように 水遊びをお楽しみになっている様子は、天の王であるヤクシャラージ(クヴェーラとも たわむ 呼ばれ、天界の財務を担当する)が多くの妃たちと戯れる姿に似ていました。主クリシュナの妃たちが濡れると、胸と腰の美しさが何千倍にも増し、長い髪が落ちて胸や腰を飾 りました・髪を飾る美しい花々がこぼれ落ち、主の水鉄砲が彼女たちを悩ませます。あ たかも水鉄砲を取り上げようとするかのように、妃たちが主に近づきます。主はその機 を逃さず妃たちを抱きしめられました。主に抱きしめられると、妃たちの唇は愛の欲望 いろど で彩られ、あたりが精神的至福の雰囲気に満ちあふれました。主の首にかかっている花 輪が妃たちの胸に触れると妃たちの全身がサフランの黄色に染まります。妃たちは神 リーラー 聖な遊戯を楽しみながら我を忘れ、ゆるんだ髪が美しい川のように波打っていました。 喪 妃たちが主クリシュナに水をかけ、そして、主が妃たちに水を撒かれる様子は、あたか おすぞう油寸ぞう も雄象が数多くの雌象と川の中で楽しんでいるかのようでした。 主クリシュナと妃たちが互いに楽しみ合った後、水から出て来ると、歌い手や踊り手 仏 たちに濡れた一象華な衣装が配られました。歌い手や踊り手にとっては、そのような機会 に妃や王から施される豪華な衣装や装飾品が唯一の収入です。以前の時代では、ブラー フマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの社会の全構成員が難なく生計を立て ることができるように社会全体が形作られていたので、社会階級間の争いや競合はあ り得ませんでした。カースト制の本来の姿は職業人どうしが互いに競合しあうことが ないように形作られていたのです。

主クリシュナはこのように一万六千百八人の妃たちと楽しんでいらっしゃいました。 恋愛の関係でバガヴァーンを愛したいと望む献身者には、クリシュナの妃となる機会 ひきつ が与えられ、そうした献身者は主の優しいふるまいに惹付けられて、常にクリシュナに 愛着することができるようになります。クリシュナが妃たちにお示しになった態度、ふ ほうよう ひきつ るまい、言葉、微笑みや抱擁などの、愛する夫としての態度はいつも妃たちを惹付けて いました・クリシュナに常に愛着している人はすでに解放の段階にあり、人生の最高完 成を達成しています。献身者が主を真剣に愛するなら、主は献身者の愛情に応えてくだ ひさつ さいます。したがい、献身者は主に惹付けられざるを得ないのです。クリシュナと献身 者の愛の交換はたいへん魅力的なもので、献身者はクリシュナ以外何も考えられなくなってしまいます。

妃たちにとってはクリシュナだけが崇拝の対象で、彼女たちの想いは蓮華の目をし たお方、美しく黒い肌をしたバガヴァーン・クリシュナだけに注がれていました・妃た ちはクリシュナを想うあまり何も話せなくなってしまうこともありました。また、バー こ・7こつ ヴァとアヌバーヴァの大きな眺惚のために、逆に、まるで狂ったように話すこともあり ました。主の前でも、湖や川の中で主と楽しんだ様子を生き生きと語ることもありまし た・妃たちは次のように話しました。 

「愛しいクラリ-よ、今は夜が遅いので、世界中が静かに安らいで、誰もが眠っている わ・零ハガヴァーンの知識はどんなことがあっても乱されなのに、今は主でさえもお休み になってらっしやるのよ・けど、どうしてあなたたちは眠りもしないで、一晩中、何をこ なげ いんなに嘆いているの。愛しいクラリ-よ、あなたもちょうど私みたいに、バガヴァーン ひきつ の蓮華のような目に惹付けられて、主の甘い微笑みと魅力的な言葉に心を奪われたの かしら。私が主を想うと胸が痛むみたいに、あなたも主のことを想ってハートを痛めて いるのね。

「愛しいクラリ-よ、今は夜が遅いので、世界中が静かに安らいで、誰もが眠っている わ・零ハガヴァーンの知識はどんなことがあっても乱されなのに、今は主でさえもお休み になってらっしやるのよ・けど、どうしてあなたたちは眠りもしないで、一晩中、何をこ なげ いんなに嘆いているの。愛しいクラリ-よ、あなたもちょうど私みたいに、バガヴァーン ひきつ の蓮華のような目に惹付けられて、主の甘い微笑みと魅力的な言葉に心を奪われたの かしら。私が主を想うと胸が痛むみたいに、あなたも主のことを想ってハートを痛めて いるのね。

チャクラヴァーキ-よ、ご機嫌いかが・どうして目を閉じているの・遠くの国に行つ なげ つ、い てしまった夫を捜していらっしゃるの。どうしてそんなに嘆いているの。とても辛そう だわ。あなたもいつまでもバガヴァーンに仕えていたいのね。たぶん、花輪を主の蓮華 の御足に捧げて、それを自分の頭に乗せたいと願っているんでしょうね。 

海よ、どうして、昼も夜も叫んでおいでなのですか。少しはお休みになったらいかが ですか・不眠症になられたのじやないでしょうか。もし私の思い違いじやないなら、わ いル」 が愛しのシャーマスンダラのせいで、落ちつきと静けさを奪い去られたのではありま せんか・だから、私のように夜も眠れず苦しんでいらっしやるのですね。でも、クリシュ いや ナのせいで夜も眠れないのなら、癒す手立てはありませんよ。

月の神よ、毎日毎日お痩せになるのは、結核を患っていらっしゃるからですか。あな ひど たの弱りようはとても酷く、月の光がか細くなってしまって呈佼の闇を追い払うことが いし」 できないほどです。私と同じように、愛しいシャーマスンダラの甘い言葉に気を失われつlハ たのではありませんか・あなたが陰ってしまったのは、その辛さのせいでしょう。 

ヒマラヤから吹く風よ、クリシュナに会いたい気持ちをこんなにかきたてるなんて、 わな 私があなたに一体何をしたって言うのですか。私はもうバガヴァーンの良のせいで傷 い,と つけられているんです。愛しいヒマラヤの風よ、私はもう十分傷つきました。もうこれ 以上私を傷つけてくださらなくて結構です。 

美しい雲よ、あなたの美しい肌の色は愛しいシヤーマスンダラに似ています。きっと、 あなたはヤドゥ家の主人・クリシュナに愛されているのでしょうね。クリシュナに愛さ れているあなたは、ちょうど私のように膜想しているのでしょう。シャーマスンダラの ことを想うと、あなたのハートは不安で一杯になるのでしょうね。あなたの目から涙が いと こぼれ落ちるのも、主に会いたい気持ちで胸が一杯だからですか。愛しの黒雲よ、シャー たんらん マスンダラと親しくなるということは、家族の団蕊を失って、必要のない不安に苦しめ られるということなのですよ」 

カッコーは普通、夜が終わり朝が訪れた頃に鳴きだします。その鳴き声を聞いた妃た「愛しいカッコ-さん。あなたの甘い鳴き声がシヤーマスンダラに似ているので、主 のことを思い出したわ。あなたの声は甘露に満ちていて、とても爽やかです。だから、最 愛の人と別れて死んだようになっている私も、あなたのさえずりで生き返ったわ。どう もありがとう。どうしたらあなたに恩返しすることができるかしら」 妃たちは山に対して言いました。 

「山よ、あなたはとても寛大なお方です。義務に忠実なあなたは少しもお動きになり ません。そんなあなたの重さによって地球が支えられています。あなたは重々しいお方 なので、少しも動かず、何もおっしゃらず、ただ思慮深いご様子をいつも現わしていらっ しゃいます。きっと、いつも何か深刻なことを考えていらっしやるのでしょうね・でも、 何を考えていらっしゃるのかが私には手に取るようにわかります。私たちがシャーマ スンダラの蓮華の御足を自分の高い胸に置きたいと思っているように、高い頂きに主 の蓮華の御足を置きたいと思っていらっしやるのでしょう。

水なし川よ、今は夏で水もなく、川床が干き上がっています。水が干上がってしまつ いろと や たので、蓮の花の彩りもなくなってしまいましたね。そんなお姿は、お痩せになってし まったようです。ちょうど、私たちのように苦しんでいらっしゃるのでしょうね・私たちはシャーマスンダラと離ればなれになって、すべてを失ってしまいました。もう主の や 甘い言葉が聞けないのです。ハートは死んだようになって、体も痩せ細ってしまいまし や た・あなたもちょうど私たちと同じですね・お痩せになったのは夫である海から雲を 通ってやってくる水が、もうもらえなくなったからですか」 この例は妃たちに似つかわしいものです。雲を通じて海の水が川に供給されなくな ると、川は干上がってしまいます。このように川は海に維持されているので、海が川の かえり 夫であるとされています。夫から顧みてもらえず、生活必需品を与えられなくなった妻 は、水なし川のように干き上がってしまうのです。 

ある妃が白鳥に言いました。いし」y 「愛しい白鳥よ、どうぞ。ここにおいでになって、座って牛乳を召し上がってください。 白鳥さん、シャーマスンダラからの伝えごとは何かありませんか。あなたこそが主の言 葉を伝えてくださるお方です。何か知らせはないかしら。私のシャーマスンダラはいつ も気ままで、誰の言葉も聞かず、私たち妃にも耳を皆〈そうとさえしません・ですから、お 聞きするのですけど、主は今も元気にしていらっしゃいますか・シャーマスンダラはと ても移り気なんですよ。一つ間違えば、すぐに関係が壊れてしまうのです。でも、なぜ主 が私に優しくしてくださらないのか、教えて頂けませんか。昔は、お前が最愛の妻だ、と よく言ってくださったのですが、それはもうお忘れになったのかしら。それよりもあな た、ここにいらして、お座りになって・でも、シヤーマスンダラのところに行きなさいつロ.J〃も『 ておっしゃっても、私、領くことできないわ。主が私のことを気にもかけてくださらな いんだから、主のことを心配してもしかたがないわ・あなたって、ハートの冷たい人の メッセンジャーになってしまったんですね・主のところに行きなさいっておつしやっ ても、あなたの言うことは聞けません・え、何ですって・主がここにおいでになるのです か。主を待ち続けた私の願いをかなえるために、ここに来てくださるのですか。わかり ました・主を連れて来てくださいな。でも、主の最愛の人、幸運の女神は一緒に連れて来 ないでください・あなたは主が一瞬さえも幸運の女神とお離れにならないと思ってい らっしゃるのですか・主はラクシュミーと離れて一人ではここにおいでになれないの ですか・何てお方でしょう。ラクシュミーがいなければ主は幸せじやないのでしょうか。 他の妃では駄目なのでしょうか。幸運の女神は大海の大きさで主を愛していて、私たち なんかとは較べものにはならないとおつしやるのですか」 

主クリシュナの妃たちは主の想いに没頭していました。クリシュナはョlゲーシュ ワラ(全ョIギーの支配者)とも呼ばれ、ドワーーフカーに住む妃たちはいつもハートの 中でョIゲーシュワラを想っていました・神秘力の支配者となるよりも、いつもハートの中でョ-ゲーシュワラすなわちクリシュナを想っているほうが優れています。クリ シュナを常に想う人は人生の完成を達成し、主の王国に簡単に移り住むことができま す。ドワーラカーの妃たちは前世では偉大な献身者であって、クリシュナとの恋愛関係 を持とうと望んでいました。彼女たちがクリシュナの妃となって、主との愛を楽しむこ y とができたのはそのためです。妃たちは最終的にヴァイクンタ惑星へと召されていきました毒

絶対真理なるバガヴァーンは、決して非人格的な存在ではありません。すべてのヴェー リーーフー ダ文典には、主の様々な人格的な活動や遊戯が称えられています。ヴェー萄タ文典や『ラー マーヤン』の中では、ただ主の活動だけが述べられています。そしてヴェーダ文典のい たるところで、主の栄光が歌われています。女性などの、柔らかいハートの持ち主は、主 リーラー ひきつ クリシュナの超越的な遊戯を聞けば、ただちに主に惹付けられてしまいます。ハートの 柔らかい女性は、簡単にクリシュナ意識運動に魅力を感じるのです。このようにクリシュ ひ ナ意識運動に惹かれ、いつもクリシュナ意識に触れようとする者は、ゴーローカ・ヴリ ンダーヴァンにいるクリシュナのもとに行くという最高の救済を達成することができ y ます。ただクリシュナ意識になるだけで精神界に召されるのですから、主クリシュナと 直接言葉を交わし、クリシュナと直接会うことができた妃たちがどれほど恵まれ、どれほど至福に満ちていたのかは想像できないくらいです・主クリシュナの妃たちがいか に恵まれていたのかを語り尽くすことは誰にもできません。休浴や食事を主に捧げ、主 を喜ばせ、主に仕えていた妃たちは直接主のお世話をしていたのです。このように、ド kさ ワーラカーの妃たちの奉仕は他の誰の苦行よりも優っています。 

シュカデーヴァ・ゴースワーミーはマハーラージ・パリークシットに、ドワーラカー ひつてさ の妃たちが行なった苦行は他の誰も匹敵することができないと語りました。自己の悟 りの対象はただ一つ、クリシュナだけです。妃たちのクリシュナに対するふるまいは、 ちょうど夫婦の間柄に似たものだったのですが、注目すべき点は、妃たちがどれほどク リシュナに愛着していたかです。苦行というものは、物質界から離れ、そして、バガヴァー ン・クリシュナに対する愛着を増すために行なうものです。クリシュナは自己の悟りを とぼ 求めている人々に保護をお授けになります。主は知性の乏しい人たちに至上主が人格 的な存在であることを示すために、理想的な世帯者として妃たちと暮らし、ヴェーダ儀 式を行なわれました。クリシュナは完全な富に包まれて妻子と生活し、あたかも束縛さ れた魂であるかのような暮らしをされました。それは束縛された者たちに、クリシュナ を中心とする家庭生活の模範を示すためです。たとえば、ヤドゥ家の人々はクリシュナ の家族の中で暮らしていましたが、クリシュナが彼らのすべての中心でした。

無執着はクリシュナに対する愛着に較守へれば、さほど重要なものではありません.ク リシュナに愛着することこそがクリシュナ意識運動の目的です。サンニャーシーであっ てもグリハスタであってもかまいません。ただ、クリシュナに対する愛着を増せばよい のです。そうすれば人生が完成します。それが私たちの説教活動の原則です。感覚満足 に耽けるのではなく、主シュリー・クリシュナの足跡にしたがって家族、社会や国家の 中で暮らしながら主に対する愛着を増やすべきです。束縛から解放の段階に達するた めの四原則はダルマ(宗教)、アルタ(経済発展)、カーマ(感覚満足)、モクシャ(解放)で す。主クリシュナの家族の人々の足跡にしたがって家族生活を送るなら、クリシュナを すべての中心に置くことにより、これら四原則を同時に成功させることができるのです 

すでに述べたように、クリシュナの妃は一万六千百八人いました・妃たちはすべて高 貴な魂だったのですが、その中でルクミニーが第一王妃でした。ルクミニーの次に七人 の主要な妃がいて、それら八人の妃の息子の名前はすでに述べられています。これら八 人の妃の他にも、主は一人ひとりの妃に、十人の息子をもうけられました。したがい、ク リシュナの子供たちは合計十六万一千八十人でした。クリシュナにそんなにたくさん の子供がいたことは、さほど驚くべきことではありません。全能者バガヴァーン・クリシュナは、全生命体が自分の息子であるとおっしゃっています。ですから、たとえば主 に千六百万人の息子がいたとしても、特に驚く必要はないのです。

クリシュナの強力な息子たちの中で十八人がマハーラタニ人で何千もの兵士、軍車、 騎兵、象と対決することができる戦士)でした。その十八人はプラデュムナ、アニルッダ、 ディープティマーン、バーヌ、サーンバ、マドゥ、ブリハドバーヌ、チトラバーヌ、ヴリカ、 アルナ、プシュカラ、ヴェーダバーヌ、シュルタデーヴァ、スナンダナ、チトラバーヌ、ヴイ ルーパ、カヴィ、そしてニャグローダで、その名声は広く知れ渡っていて、ヴェーダ文典 の中にも記述されています。この十八人の息子たちの中では、プラデュムナが最も優れ ているとされています。彼はルクミニー妃の長男で、偉大な父主クリシュナの質をすべ おじ て受け継いでいました。プラデュムナは母方の叔父ルクミーの娘と結婚し、その息子と して誕生したのがアニルッダです。アニルッダは大力の持ち主で、一万頭の象と戦うこ いとができました。アニルッダはルクミーの孫と結婚しました。これらの従兄弟どうしの 関係は遠いものであったので、当時このような結婚は珍しくはありませんでした。アニ のろ ルッダの息子はヴァジラです。ヤドゥ家はブラーフマナの呪いによって滅んでしまっ たのですが、ただ一人ヴァジラだけが生き残りました。ヴァジラにはプラティバーヌと いう名の息子がいて、プラティバーヌの息子はシャーンタセーナで、そしてその息子はシャタセーナという名でした(》 

シュカデーヴァ・ゴースワーミーが語っているように、ヤドゥ家の人々にはたくさん の子供がいました。クリシュナにたくさんの息子、孫や曾孫がいたように、ここに名を あげた人々も同じく数多くの子供たちをもうけました・彼らは、ただ子供の数が多かっ ただけではなく、まれにみる富に囲まれて豪華な暮らしをしていました・体の弱い者や 短命であった者は、一人もいませんでした。そして、とりわけヤドゥ家の人々は誰もが ブラーフマナ文化の献身者でした。ブラーフマナ文化を維持し、正統なブラーフマナを 保護することがクシャトリヤ王の務めであり、ヤドゥ家の王は誰もがその義務を忠実 に遂行していました。ヤドゥ家を構成する人々はきわめて多数だったので、たとえ何百 年かけたとしても、その一人ひとりについて記述することは容易ではありません。シュ リーラ・シュカデーヴァ・ゴースワーミーは、信頼できる権威者からの話によればヤドゥ 家の子供たちに教育を施すために三千八百八十万人の師(アーチャーリャ)が必要だっ たとマハーラージ・パリークシットに語りました。それほど多数の師が必要なのですか かた ら、どれほどの大家族であったかは想像に難くありません。ヤドゥ家の軍事力に関して は、ウグラセーナ王には一○、○○○、○○○、○○○,○○○,○○○人の親衛隊がいたと言われています

主クリシュナがこの宇宙に降誕される以前、悪魔と神々の戦いが何度も繰り返され、 その戦いで殺された数多くの悪魔が、この地球の王家に誕生しました・王という高い地 位を得た悪魔たちは思い上がることおびただしく、ただ臣民たちを苦しめるばかりで した。主クリシュナはドワーパラ・ユガの終わりに地上にお現われになり、悪魔的な王 をすべて滅ぼされました。『バガヴァッド・ギーター』に説かれているように、主は献身 リiラー 者を保護し、悪魔を滅ぼすために降誕されます。主の超越的な遊戯に参加した者の中に デーヴア デーヴ了 は神々もいました。クリシュナは永遠の交際者とともに降誕されるのですが、神々も主の遊戯を助けるために一緒に降りて来るように命じられ、ヤドゥ家に誕生しました。ヤ ドゥ家には国中の様々なところに百一の家系がありました・これらの家系の誰もが主 クリシュナをその神聖な立場にふさわしい方法で尊敬していて、彼らは主の真剣な献 身者でした。このように、ヤドゥ家の人々は幸福で豊かに栄えた暮らしをし、まったく 不安がありませんでした。ヤドゥ家の人々は主クリシュナに絶対的な信念を持ち、主に 献身的だったので、他の王に打ち破られることは決してありませんでした。彼らはクリ シュナをあまりにも一愛していたので、座っていても眠っていも、旅していても、話して いても、余暇をすごす時も、掃除している時も、体浴している時も、そして他の何をして ひた いる時も、ただクリシュナの想いに浸り尽くし、自分の体のことは忘れ去っていました。それが主クリシュナの純粋な献身者の特徴です。想いが何かに没頭している時はよく 自分の体のことを忘れてしまうものです。それと同じように、ヤドゥ家の人々は自分の 体のことは機械的に行なっていましたが、想いはただクリシュナだけに注がれ、それる ことがありませんでした。体に関する事柄は機械的に行なっていましたが、想いはいつ もクリシュナ意識に没頭していたのです。 

シュリーラ・シュカデーヴァ・ゴースワーミーは主クリシュナの五つの卓越性を語る し ことによって『シュリーマド・バーガヴ↓ノタム』の第十篇第九章を締めくくっています。 主クリシュナがヤドゥ家にお生まれになる以前は、カンジス川が最も純粋なものでし た・カンジス川の水に触れれば不浄なものでさえも浄化されるのですが、その浄化の力つ‐一夫好き野噌 はカンジス川が主ヴィシュヌの爪先から流れ出ていることによるものです。しかし、至 tのヴイシュヌである主クリシュナがヤドゥ家に誕生されると、主はヤドゥ家の王国 中を旅されました。ヤドゥ家の人々は主クリシュナとの親密な交際を得たことによっ て、ただ有名になっただけではなく、カンジス川の水よりも浄化力を持つようになりま した。これが第一の卓越性です。 

主クリシュナの出現の第二の卓越性は、主が献身者を保護し、悪魔を滅ぼされた時に、 その両者が同じ結果を達成したことです。主クリシュナは五種類の解放を授けるお方でいら(一しやいます蓬その中のサーユージャ・ムクティ(至上者と一体になる解放)がカ ムサなどの悪魔に授けられたのに対し、ゴーピーにはクリシュナと直接交際する機会 が授けられました。ゴーピーは個別性を失うことなく主クリシュナとの交際を楽しん だのです。しかし、カムサが許されたのは、主の非人格的ブラフマジョーテイに入るこ とでした。つまり、悪魔もゴーピーたちも精神的解放を達成したのですが、悪魔は主の 敵であり、ゴーピーは主の友であったので、悪魔は殺されゴーピーたちは守られたのです ○

幸運の女神ラクシュミーは、ブラフマー、インドラやチャンドラなどの神々に崇拝さ れています・主はそのようなラクシュミーよりも、ゴーピーたちの方を好んでいらっ しゃったのですが、それにもかかわらず、ラクシュミーはいつも主に仕え続けました。 これが主の出現の第三の卓越性です・幸運の女神ラクシュミージ-はゴーピーたちと 同じ段階に到達しようと最善を尽くしたのですが、果たせませんでした。たとえブラフ デーヴァ マーなどの偉大な神々がラクシュミーを崇拝したとしても、ラクシュミーはその場か らすぐに立ち去ってしまいます。そのようなラクシュミーが、クリシュナのもとに居続けたのです。 

主クリシュナの出現の第四の卓越性は主の聖なる御名の栄光に関す乙ものです。主ヴイシュヌの様々な聖名を千回唱えれば主ラーマの聖なる御名を三回唱えたのと同じ 恩恵があり、主ラーマの御名を三回唱えることは主クリシュナの御名を一回唱えたの と同じ恩恵があると言われています。つまり、ヴィシュヌやラーマを含むバガヴァーン の聖なる御名の内で、クリシュナの聖なる御名が最高の力を持っているのです。したが いヴェーダ文典はクリシュナの聖なる御名、ハレー・クリシュナ・ハレー・クリシュナ・ クリシュナ・クリシュナ・ハレー・ハレー・ハレー・ラーマ・ハレー・ラーマ・ラーマ・ラー マ・ハレー・ハレーを唱えることを特に奨めています。この時代では、主チャィタンニャ がクリシュナの聖なる御名を唱えることをお説きになったので、解放を達成する方法 が他の時代よりも容易になりました。つまり、他の化身も等しくバガヴァーンなのです が、主クリシュナ自身は他の化身よりも優れているのです。

主クリシュナの出現の第五番目の卓越性は、主が最高の宗教原則を確立されたこと です。つまり主が「ハガヴァッド・ギーター」でお説きになったように、ただ主に服従す るだけで他の宗教原則をすべて行なうことができるのです。ヴェー・タ文典の中には二 十種類の宗教原則が述べられていて、それぞれが様々なシャーストラに説かれていま す。しかし、主クリシュナはこの時代の堕落した魂たちにたいへん慈悲深いお方でいらつ み十か しやるので、主自らが降誕し、す、へての宗教儀式を捨て去りただ主に服従しなさいとおっしやったのです。このカリの時代では宗教原則の四分の三が欠けていると言われてい ますが、宗教原則の四分の一でさえも今の時代ではほとんど見ることができません。し かし、主クリシュナの慈悲によって、カリ・ユガの空虚が満たされたばかりではなく、宗 教の方法が非常に容易なものとなりました。ただ主の聖なる御名、ハレー・クリシュナ・ハレー・クリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレー・ハレー・ハレー・ラーマ・ハレー・ ラーマ・ラーマ・ラーマ・ハレー・ハレーを唱えて主に一愛情奉仕を捧げるだけで、宗教のy 最高完成(精神界の最高惑星ゴーローカ・ヴリンダーヴァンに召されること)が達成で きるのです。以上の点を考えれば、主クリシュナが降誕してくださったことがいかに大 きな祝福であるかが理解できます。主の降誕によって世界中の人々が救われたことは、 特に驚くべきことではありません。

シュリーラ・シュカデーヴァ・ゴースワーミーは「おお主クリシュナよ、御身に栄光あ れ・御身はすべての者の心臓の中にスーパーソウルとしてお座りになっています。した がって御身はジャナニヴァース(すべての者の心臓に座っているお方)と呼ばれていらっ し しやいます」と主を称えて、主の卓越した至上の地位の記述を締めくくっています。

「ハ ガヴァッド・ギーター』で明らかにされているように、至上主はパラマートマーの様相 で、すべての者の心臓の中に住んでいらっしやいます。しかしだからと言って、クリシュナがバガヴァーンとしての独立的な地位を失われたわけではありません急マーヤー ヴアーデイー哲学者は、パラブラフマンの遍在的様相は受け入れますが、パラブラフマ ン(至上主)の出現の際には、主は物質自然の支配のもとに現われると考えています。主いし」 クリシュナがデーヴァキーの愛し子としてお現われになったので、マーヤーヴァー デイー哲学者は、クリシュナがこの物質界に誕生した普通の生命体であると考えてい ます。ですからシュカデーヴァ・ゴースワーミーはマーヤーヴァーディーに対して、デー ヴアキー・ジャンマ・ヴァーダと警告しました。それはデーヴァキーの息子として知ら れている主クリシュナがスーパーソウル(すべての場所に遍在する寺ハガヴァーこでい らっしやるという意味です。しかし、献身者はシュカデーヴァ・ゴースワーミーのその 言葉を違った意味で受け取り、クリシュナがヤショーダーの息子であると理解します。 クリシュナはまずデーヴァキーの息子としてお現われになりましたが、すぐにヤショー ひざ グーの膝の上にお移りになりました。その後、ヤショーダーとナンダ・マハーラージは リー|フー 至福に満ちて主の子供の頃の遊戯を楽しんだのです。ヴァスデーヴァも、クルクシェー トラでナZダ・マハーラージと会った時、クリシュナとバララーマが実際はヤショーダー とナンダ・マハーラージの息子であることを語りました。ヴァスデーヴァとデーヴァキー はただ形式的な両親で、真の両親はナン§タとヤショーダーです。したがってシュヵデーヴァ・ゴースワーミーは主クリシュナをデーヴァキー・ジャンマ・ヴアーダと語ったのです。

シ『一カデーヴ一ノ三lスワーミーは主をヤドゥ・ヴァラ・パリシャット、すなわちヤドウ 家の会議堂と称え、様々な悪魔を殺すお方と称賛しました。バガヴァーン・クリシュナ は様々な物質エネルギーを使ってす、へての悪魔を殺すことができるのですが、しかし 自分自身で悪魔退治をされたのは悪魔たちに解放を授けるためでした。クリシュナが みずか 自らこの世界に降りて来て悪魔退治をする必要はありません・主がただ望むだけで、何 百何千の悪魔たちが殺され得たのです。主が降誕されたのは純粋な献身者たちのため たわむ でした。ヤショーダーやナンダ・マハーラージとともに子供として戯れ、そして、ドワー ラヵーの人々に喜びを与えるのが主の降誕の目的だったのです。主クリシュナは悪魔 を滅ぼし、献身者を保護することによって、真の宗教原則すなわち、ただ主を愛するこ と、を確立されました。令ハガヴァーンの愛という真の宗教原則にしたがうならば、ステイ けが め う・チャラの生命体でさえもあらゆる物質的な汚れから解放され、精神王国に召される のです。スティラとは樹木や植物などの動くことができない生命体のことで、チャラと は動くことができる生命体、特に牛のことを意味します。クリシュナがいらっしやった 時、ヴリンダーヴァンやドワーラカーで主に会い主に仕えたすべての樹木、猿、そして植物や動物が主から解放を授かったのです。 

主クリシュナはゴーピーとドワーラカーの妃たちに喜びを授けるお方として、特に 称えられています。そして、シュカデーヴァ・ゴースワーミーは主の魅力ある微笑みを 称えています。主はその微笑みによって、ヴリンダーヴァンのゴーピーたちばかりでは なく、ドワーラカーの妃たちも魅了されました。これに関して、ヴァルダナヤン・カーマ デーヴァンという語が使われています・主はヴリンダーヴアンでは多くのゴーピーた ちの友として、ドワーラカーでは多くの妃たちの夫として、主と楽しみたいという女性 たちの愛を刺激されました。一般に主の悟りや自己の悟りというものは厳しい苦行を 何千年間も行なってはじめて達成できるものです。しかし、ゴーピーやドワーラカーの 妃たちは、ただ友として、そして妻として、クリシュナと楽しみたいという愛の感情を はぐく 育んだだけで、最高の救済を達成したのです。 

このように主クリシュナがゴーピーや妃たちに対してふるまわれたことは、自己の 悟りの歴史上で非常にユニークです。一般に、自己の悟りを得るためには、森や山に行 き厳しい苦行を積まなければならないとされています。しかし、ゴーピーや妃たちは、 ただ恋愛関係においてクリシュナに愛着し、また一見すれば感覚的なものに思える豪 華な生活の中で主との交際を楽しむことによって、偉大な聖者や聖人でさえ達成することのできない最高の救済を得たのです。同じようにガムサ・…ダンタヴァクラやシシュ ゲ パーラなどの悪魔も、精神界に召されるという最高の恩恵を授かりました。 

『シュリーマド・バーガヴァタム』の冒頭の部分で、シュリーラ・ヴイヤーサデーヴァ は絶対真理ヴァースデーヴァすなわち主クリシュナに尊敬の礼を捧げ、そしてその後、 息子であるシュカデーヴァ・ゴースワーミーに『シュリーマド・バーガヴァタム」を説教 するように教えています。シュカデーヴァ・ゴースワーミーが主を「ジャヤテイ」という 語で称えているのはそのためです。全世界のすべての人々は、シュリーラ・ヴイヤーサ デーヴァ、シュカデーヴァ・ゴースワーミー、そして師弟継承上の全アーチャーリャの 足跡にしたがって主クリシュナを称え、クリシュナ意識運動に参加して最高の恩恵を 得るべきです。クリシュナ意識の方法は簡単で、しかも大きな恩恵が得られます。ただ マハー・マントラすなわち、ハレー・クリシュナ・ハレー・クリシュナ・クリシュナ・クリ シュナ・ハレー・ハレー・ハレー・ラーマ・ハレー・ラーマ・ラーマ・ラーマ・ハレー人レー を唱えればよいのです・主チャイタンニャは物質的な二元性に無執着になるべきだと 奨めていらっしゃいます。物質的な生活は一時的なもので、必ず浮き沈みがあるのです つつ が、私たちは木のように忍耐強く、道端の草のように謙虚で慎ましくなければなりませ ん。しかし、ハレー・クリシュナ・ハレー・クリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレー.ハレー・ハレー・ラーマ・ハレー・ラーマ・ラーマ・ラーマ人レー人レーを唱えることに よってクリシュナ意識を行なうこ少岸も、忘れてはなりません。 

全生命体のスーパーソウルでいらっしゃるバガヴァーン・クリシュナはいわれのな 耐リ‐’一フ!’ い慈悲から降誕し、様々な化身の姿で様々な超越的な遊戯をお示しくださいます。束縛 リーーブー された魂は主クリシュナの様々な化身の魅力的な遊戯を聞くことにより、解放を達成 する機会を得ることができるのですが、主クリシュナ自身の活動は最も魅力的で喜び ひきつ に満ちたもので、様々な化身の活動よりもさらに人々を惹付けます。なぜなら、主クリ シュナ自身が完全な魅力を持ったお方でいらっしゃるからです。

私は、主クリシュナの遊戯について読み聞く機会を束縛された魂に提供するために、 シュリーラ・シュカデーヴァ・ゴースワーミーの足跡にしたがって本書『クリシュナ』を リーーフー 世に出す銀へく努力を重ねてきました・主クリシュナの遊戯を聞くことによって、救済へ の確かな道が開かれ、精神界へと帰ることができるようになります。シュカデーヴァ・ リーラー ゴースワーミーが奨めているように、主の超越的な遊戯を聞くことによって、物質的な けが 汚れの束縛をしだいに切り落とすことができるようになります。したがって、超越的な 叩リー‐ニフ‐I 主の王国で主クリシュナとの交際を求めるのなら、誰もが主クリシュナの遊戯を聞き、 マハー・マントラすなわち、ハレー・クリシュナ・ハレー・クリシュナ・クリシュナ・クリシュナ・ハレー・ハルを唱えるべきです。 レー・ハレー・ラーマ・ハレー・ラーマ・ラーマ・ラーマ・ハレー・ムレー

精神界に帰ることは一般には極めて難しいことですが、バガヴァーン・クリシュナの リーラー 超越的な遊戯は非常に力強いので、本書『クリシュナ」をただ聞き、ただ読み、そしてた リーラー §だ記憶するだけで、精神界へと確実に帰ることができます。主クリシュナの遊戯は非常 リーラー に魅力的で、一度読めば繰り返し読みたくなります。主クリシュナの遊戯を学べば学ぶ ほど、主に対する愛着が大きくなっていきます。クリシュナに愛着することによって、 主の住んでいらっしゃるゴーローカ・ヴリンダーヴァンに移り住むことができるよう になるのです。これまでの各章で学んできたように、物質界を渡り切るということは、 ひきつ 物質自然の厳格な法を乗り越えることです。物質自然の厳格な法は、精神自然に惹付け はば られている者の行く手を阻むことはできません・主自身の言葉によって『バガヴァッド・ ギーター』で明らかにされているように、物質自然の厳格な法を克服することは非常に 困難ですが、主に服従することによって、無知の大海を渡ることが非常に簡単になるの です。しかし、精神界においては物質自然の影響はまったく存在しません。『シュリーマ デーヴ》, ド・バーガヴァタム』の第二篇に述、へられているように、神々の統治力と物質自然の影 響力は精神界には存在しないのです。

シーラ・シュカデーヴァ・ゴースワーミーはマハーラージ・パリークシットに一ジュ リーマド・守ハーガヴァタム』の第二篇の冒頭で、すべての束縛された魂は主の超越的な 川ノーーフー 遊戯を聞き唱えるべきだと語り、また別のところでは、以前の時代では多くの皇帝や王 たちが精神界に帰るために森に入り厳しい苦行を積んだことを話しています・インド では今もなお、家族生活を離れた高い段階の超越主義者がゞヴリンダーヴァンに移り住 リーーフー み、主の聖なる遊戯を聞き唱えることに専心しています。それは『シュリーマド・バーガ ヴァタム』でも奨められていて、ヴリンダーヴァンの六人のゴースワーミーもその教え えせ にしたがっていました。しかし、現代では多くのカルミーや似非献身者がヴリンダーヴァ ンの聖なる地にあふれ、シュカデーヴァ・ゴースワーミーが奨めたこの方法の表面的模 リーラー 倣だけを行なっています。以前の時代では、多くの王や皇帝が主の遊戯を聞き唱えるた めに森に入って行ったのですが、シュリーラ・バクティシッダーンタ・サラスヴァティー・ タークルは、準備のできていない人がヴリンダーヴアンに行き一人で放棄生活を行な うことを奨めてはいらっしゃいません。

「おおわが思惟よ、お前はなぜヴァイシュナヴァであることを誇りに思うのだ・お前 は自分一人で崇拝し、自分一人で主の聖なる御名を唱えようとしているが、それは低俗 な名声を得ようとしているからではないのか。よって、お前の唱名はただの模倣にすぎ ない。低俗な名声を求める野心は、豚の糞に似ている。なぜなら、それはマーヤーの一つ の姿にすぎないからだ」 というものです。低俗な名声を得るためにヴリンダーヴアンに行くならば、クリシュ ナ意識にはなれずに、逆に一時的・物質的幸福を与える金と女性のことで頭が一杯にな とみ るだけかも知れません。それよりも自分の財や女性を主の奉仕に用いるべきです。なぜ なら、感覚的快楽は束縛された魂のためのものではないからです。

感覚の支配者はフリシーケーシャ、すなわちクリシュナでいらっしゃいます。したがっ て、感覚は主の奉仕に用いられるべきです。物質的名声に関しては、ラーヴァナなどの 数多くの悪魔たちが物質自然の法則に対抗しようとして失敗を重ねてきたことを忘れ てはなりません。主に奉仕を捧げずに、ただ虚偽の名声を得るためだけにヴァイシュナ ヴァを名乗ることは悪魔的な所業です。そのようなことはすべきでありません。逆に主への献身奉仕を行なえば、ヴァイシュナヴァとしての名声が自ずと訪ねて来ます。主の れた 栄光を説教している献身者を妬んではなりません・私は実際にヴリンダーヴアンのい わゆる尺l寺ハージー」から、「説教の必要はない。ひっそりとヴリンダーヴアンに住み、 聖なる御名を唱えるほうがよい」と奨められたことがあります。そのような「バー罰ハー ジー」はぐ王を称え主を説教する者には説教徒としての名声が追いかけて来ることを知 りません・したがい未熟な段階では、誠実な世帯者の暮らしを捨ててヴリンダーヴァン ほうとうもの に行き、結局は放蕩者のような生活に入ることはすべきでありません。シュリーラ・シュ カデーヴァ・ゴースワーミーは、家を出て森に入りクリシュナを探すことを確かに奨め ていますが、まだその段階に達していない人に対して、それを奨めているわけではあり ません。マハーラージ・パリークシットはその段階に達していました・彼は世帯者とし て生活している時はもちろんのこと、まさに幼い子供の頃から主クリシュナのムール ティを崇拝していたのです。マハーラージ・パリークシットは子供の頃、主クリシュナ の神像を崇拝していました・後に世帯者となってからも物質的な物事には無執着でし た。したがって死の知らせを受けるとすぐに世帯生活に関するすべてを捨て去り、カン ジス川のほとりに座って献身者との交際の中で『シュリーマド・バーガヴァタム』を聞 くことができたのです。

以上 『クリシュナ』第90章「まとめ主クリシュナの遊戯」に関するバクティヴェー ダンタ解説終了。

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