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(二十六)

26. 主は、主バラデーヴァや牛飼いの少年たちとともにいることを喜び、時には彼らと同じ石に座ることもあった。そして、御飯、豆スープ、野菜、パン、凝乳などの簡素な食べ物を持ち寄り、皆で分かち合った。

『パガヴァッド・ギーター』の中で最高主は果実、花、葉、水などを献愛者が愛情とともにささげれば、喜んでそれを受け入れる、と言っておられます。最高主は何でも食べることができます。それというのも、すべては主のエネルギーの異なった形にすぎないからです。しかし、私たちが何かをささげるときは、指示された範囲の食物だけをささげるべきで、それ以外の食物をささげることはできません。人格を持つ神々の中の最商の神、主シユリー・クリシュナには、御飯、豆スープ、小麦、野菜、牛乳、乳製品、砂糖のような良質の食物のほかには、何もささげられません。聖地Jagannātha Purī(ジャガンナートプリー)では、最高主にそのようなささげ物がなされ、そしてすべての聖典において、これらと全く同じ食物が、どの箇所でも記述されています。

最高主は決して空腹にはならず、空腹を術たすために食物を必要としているわけではありません。御自身で完全無欠なのです。それでも、献愛者が心からの愛とともにささげた食物を、その都度寛大にも食べて下さいます。常に何百、何千という幸連の女神に仕えられている最高主なのですが、牛飼いの少年たちが家から持ち寄った簡素な食物を、いつも喜んでお一受けになります。主の身内は純粋な献愛者のみで成り、友人、両親、愛人といった超越的な関係の中に位置されています。主は、さまざまなrasa(ラサ 関係)の段階にいる献愛者からの奉仕を受け入れて、超越的な楽しみを味わいます。これらの超越的な開係は、物質的な環境にゆがんで映し出されています。そのために精神的生命はその無知ゆえに、精神界の喜びをむなしくも物質の中に見い出そうとあがいているのです。

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