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(四十三)

43. 秋には鳥も獣も人も性欲に駆られる。雄牛も雄鹿も雄鳥も人間の男も、あらゆる雄の生き物が異性を妊娠させる。主への熱心な転愛奉仕の結果としてもそのような受胎が起こる。

最高主への献愛奉仕は、決してむだに終わりません。結果にそれほどこだわっていなくても、時が来れば、行った献愛奉仕の成果はやってきます。純粋な献愛者は、自分の奉仕に対する報酬を何も期待しません。つまり、取引をしていないのです。しかし主はみずからの意志で、献愛者の望みのすべてをかなえてくれるのです。

物質的な繁栄という点から見れば、最高主の献愛者は、ひどく貧しくなっていくように、うかがえるかもしれませんが、実際には違います。最もよい例としてパーンダヴァ兄弟が挙げられます。ユディシュティラ王を長男とした五兄弟は、ドゥルヨーダナを長としたいとこたちの陰謀によって、ありとあらゆる困難をくぐり抜けねばなりませんでした。しかし最終的には、ユディシュティラ王は、主シュリー・クリシュナによって王座を与えられ、敵側は滅ぼされてしまったのです。神がいつも彼らと一緒にいたにもかかわらず襲ってきた災難に、ユディシュティラ王は決して動揺しませんでした。パーンダヴァ兄弟は、献愛奉仕以外には、何も主に祈ることはしませんでした。それでも結果的には、献愛者たちが有利なように終わったのです。

ゆえに献愛者は、全力をかけて献愛奉仕に励むべきで、忍耐強く信頼を持って決められた義務を果たし、心を純粋にし、他の献愛者たちとの交際の中で奉仕をすべきなのです。これらの六項目が、献愛者を成功へと導くでしょう。献愛奉仕の実行に当たって、人はくじけるべきではありません。失敗は必ずしも害にはならず、成功のもとであるかもしれません。悟りを開いた聖者たちが従っている、規定原則をよく確認すべきで、そしてこのような献愛奉仕から得られる、最終的な結果に、疑いを持つべきではないのです。それよりも、ちゅうちょせずに自分に定められた義務を行い続けるべきで、決して望ましくない交際によって、まどわされるべきではありません。

神の王国へ帰るということを、遊びごとのように考えるべきではありません。聖典の中に命じてあるように、真剣に受けとめるべきです。正しく従っている人にとって、結果は確かなもので、その時が米ド・ワルヴァマハーラージヤれぱ、成果はおのずと現れます。b言凄ミミ国富愚冒は、ある恩恵欲しきに神を崇拝し始めたのですが、実際に神に会えたときには、何も望みませんでした。しかし主は、ドゥルヴァの望みをかなえただけではなく、永遠な救済も与えてくれたのでした。これらが、すべての啓示聖典から得られる教訓なのです。万能の神は、私たちの望む結果を与えて下さるので、私たちはいつも、永遠で、喜びにあふれ、知識で満ちていることを、望んでいるべきなのです。献愛奉仕に関しては、はかない価値のないことのために、むだ働きをすべきではないのです。

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