No edit permissions for Japanese

(七)

7. 五月、六月に干からびて小川は、はやあふれ出す。あたかも突然に札びらを切り始めた成金のごとく。

人は海や小川から、荘厳さを学ぶべきです。河川からどれほどの水が流れ込んできても、海はその制限水量を保ちます。人も生涯の大切なものを、有効に使わなければならないし、永久に価値のないはかない目的のために、、むだ遣いすべきではありません。コントロールのきかない感覚的な満足を追い回す人は身体をもてあそび、財産を蓄えます。しかし、肉体の力は、感覚満足ではなく、自己の悟りに利用されるべきなのです。

人間は、二種類の気性を持っています。一方は内省的で、他は外向的です。外向的な人は、現象の表面的美しさに魅惑されていて、顕現した現象全体を見る視野を持ちません。事実上彼らは、内省的には眠った状態におり、人間としての身体の独特の長所から、何の永続する価値も手に入れることができないのです。しかし発達した内省的特質を身につけた人は、海のような荘厳さをもっています。外向的な人が眠りこけて静かに静止しているのに対し、このような荘厳さを身につけた人は、人間としての人生を最大限に活用するのです。

肉体の動物的活動は、最少限にとどめなければなりませんが、外向的な人は、物質的快楽によって、一時的に圧倒されてしまいます。人生の雨期が過ぎ去るや否や、乾き尽くした川底のようになります。人生とは、sat、つまり永遠という本来の目的のためにあるのです。この物質界では、何もサット、すなわち永遠ではありません。しかし、この物質界零画のような逆境をも、鹸高の目的のために使うこと力できます。外向的なものだけに没頭している心は、好ましくないことなのですが、それを内省的にすることによって、最大限に利用できるのです。

« Previous Next »