No edit permissions for Japanese

第14章

主と主の献身者の恍惚感

純粋な献身者によって表される、高度に発達した献身奉仕の徴候(訳注:symptom、きざし、しるし、徴候、症状、など)は、時として実際に純粋な献身者ではない者たちによって模倣されます。これはバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーにおいて描写されています。クリシュナへの献身奉仕を持たずして、人はそのような徴候を表す何らかの動機を持っているかもしれません。(訳注:「その人たちは、クリシュナへの献身奉仕はしないのに、そのような徴候を表す何らかの動機があるのかもしれません。」)しかし、(その)徴候は本当のものではないということが知られるべきです。時として、献身奉仕の科学に精通していない者は、恍惚的な徴候の表れの虜になります。しかし、献身奉仕の科学を知っている者は、そのような徴候をすべてである(all in all、かけがえのないもの)として受け入れることはしません。これらの徴候は、ただ献身奉仕の始まりを示すだけです。それ(訳注:ただ献身奉仕の始まりを示すだけであるということ)は、造詣の深い献身者たちによって受け入れられています。

献身者の様々な区分と程度に応じて、恒久的な献身の状態は5つの部類に分けられます。1、平穏さ(peacefulness)2、クリシュナへの奉仕3、クリシュナとの友情4、クリシュナへの親としての愛5、クリシュナへの恋人としての愛 (conjugal love) (訳注:conjugalは度々出てくる言葉で、本来は婚姻上関係を指します。文字通りに訳せば「配偶者としての愛」になりますが、大勢のゴピーたちとの関係を指すときにも使われるので、以下、当面は「恋愛感情」としておきます。)それぞれの部類が独自の味わいと趣きを持っています。そして、特定の部類に位置する献身者は、その立場にあって幸せです。純粋な献身者によって表される特徴的な徴候は、一般的には笑うことと泣くことです。感情が好ましいときには、純粋な献身者は笑います。そして、感情が好ましくないとき、彼は泣きます。

これらの二つの感情の上に位置するのは永遠の愛であり、それはスターイバーヴァと呼ばれます。言い換えると、クリシュナへの愛着は永遠です。その永遠の愛情ある感じ方(attitude)は時として、ヴィバーヴァ、アヌバーヴァ、およびヴャビーチャーリーと呼ばれる異なる種類の味わいと混ざります。ヴィバーヴァはクリシュナへの愛着の特定の味わいであり、それはさらにアーラムバナおよびウッディーパナという二つの部類に分けられます。アグニ・プラーナおよび他の権威ある聖典において、人のクリシュナへの愛を増加させるものはヴィバーヴァである、と述べられており、そしてクリシュナが対象であるとき、ヴィバーヴァはアーラムバナとして増加します。(訳注:「増加してアーラムバナとなります」、ということなのだろうと思いますが、アーラムバナはヴィバーヴァの部類の一つなので、「アーラムバナの部分が増える」ということかもしれません。)ウッディーパナは、クリシュナの超越的な性質、主の活動、主の微笑みをたたえた美しいお顔と主の体の香り、主の笛の音、主のホラ貝の音、主の足の裏の印、主のお住まい、そして献身奉仕に関する様々な周辺的な物事(トゥラスィーの葉、献身者、儀式的な活動、およびエカーダスィーなど)によって誘発されます。アヌバーヴァは、人の内部の気持ちが表されるときに生じます。アヌバーヴァの心境(attitude)にあっては、いずれも状況を考慮することなく、人は踊り、時には倒れ、時には大声で歌い、引き付けを起こし、あくびをし、そして時には荒い呼吸をします。

献身者の体に表れる外的な特徴は、ウドバースヴラと呼ばれます。ヴャビーチャーリーの徴候は33個あり、それらは主に献身者によって発声される言葉と様々な身体的な特徴に関わります。踊ること、震えること、笑うことなどの、これらの様々な身体的な特徴は、ヴャビーチャーリーの徴候と混ざっているとき、サンチャーリーと呼ばれます。バーヴァ、アヌバーヴァ、およびヴャビーチャーリーの徴候が組み合わさるとき、それらは献身者を永遠の生命の海に飛び込ませます。その海はバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーと呼ばれ、献身奉仕の純粋な蜜の海です。そしてその海に飲み込まれている(to merge; 合流する、結合する、吸収される)者は、いつもその海の波と音において、超越的な快楽の中でうっとりしています。(訳注:「いつもその海の波を楽しみ、その海の音を聞き、超越的な快楽に恍惚としています」)

バークティ・ラサームリタの海に飲み込まれている献身者の特定のラサ(味わい、あるいは嗜好)は、中立状態、従者である状態、友情、親であること、および恋愛感情(conjugal love)として知られます。恋愛感情は非常に重要です。そしてそれは献身者がクリシュナを魅了するために自分の体を飾ることによってきざしが表されます。(訳注:「そしてその兆しは献身者がクリシュナを魅了するために自分の体を飾るときに現れます」)従者であることの味わいが増すと、愛情、怒り、友愛、および愛着を含むようになります。友情の味わいが増すと、愛情、怒り、友愛、愛着、そして献身を含むようになります。そして親であることにおいては、愛着が増すと愛情、怒り、友愛、愛着、そして献身を含むようになります。(訳注:「愛着」が繰り返されている。)至高主との友情において経験される特別な味わいもあります。そしてこれらは、その献身がバーヴァに至るまで増すスバラのような友人たちによって顕現されます。様々なラサは、また、ヨガとヴィヨガ、すなわち出会いと別離という2種類の恍惚感にも分けられます。友情と親であることにおいては、出会いと別離の感情は様々です。

ルーダーおよびアディールーダーとして知られる状況は、恋愛関係において可能です。ドヴァーラカーにおいて妃たちによって表された恋愛感情はルーダーと呼ばれ、そしてヴリンダーヴァンにおいてヴラジャの高貴な娘たちによって表された恋愛感情はアディールーダーと呼ばれます。恋愛感情におけるアディールーダーの愛情の最高の完成には、出会い(マーダナ)と別離(モハナ)が関わっています。マーダナ、すなわち出会いの恍惚には口づけがあり、モハナ、すなわち別離の恍惚にはウドグールナーとチトラジャルパがあります。チトラジャルパに関して言えば、シュリマッド・バーガヴァタムの中にブラマラ・ギーターとして知られる部分があり、そこで様々なチトラジャルパが言及されています。ウドグールナーは別離の徴候であり、また、超越的な狂気と呼ばれる徴候もあります。その超越的な狂気において、人は自分が至高の人格神になったと考えます。そのような恍惚において、彼はクリシュナの徴候(symptom、この場合は「特徴」?)を様々な方法で模倣します。

その恋愛の関係において着られる二種類の衣服があり、それらはサムボーガおよびヴィプララムバーと呼ばれます。サムボーガの水準においては衣類は無限であり、ヴィプララムバーにおいてはそれらは4つあります。(訳注:なぜ「衣類」という表現をしてあるのかはよく分かりません。原語はそのままdressです。彩りや姿という意味もあるので、日本語らしくすれば「形」や「側面」となるのでしょう。)愛する者と愛される者が会う前に表される恍惚、会った後で彼らの間で経験される恍惚、会わないことによって経験される心のあり方、そして会った後で別離を恐れて経験される心のあり方は、ヴィプララムバーと呼ばれます。そのヴィプララムバーは、未来の出会いのために栄養を与える要素として働きます。愛する者と愛される者が突然出会って互いを抱擁するとき、彼らは幸せの恍惚感を感じます。そして彼らがその恍惚感において経験する心のあり方は、サムボーガと呼ばれます。状況に応じて、サムボーガの恍惚は4つの名前でも知られています。1、サンクシプタ2、サンキールタナ3、サムパンナ4、サムリッディーマーンそのような徴候は夢の中においても見られます 。

会う前に経験される精神状態は、プールヴァ・ラーガと呼ばれます。愛する者と愛される者の間の出会いを時として妨げる障害物は、プラヴァーサと呼ばれます。恋人たちが出会うときでさえ、特定の状況のもとで存在する別離の感情は、「恋の不安(love anxieties、プレマ・ヴァイチッテャ)」と呼ばれます。そのような恋の不安は、シュリマッド・バーガヴァタム(10.90.15)において、夜の間目を覚ましていてクリシュナが眠っているのを見ていた姫たちによって表されています(訳注:「夜」は複数)。彼女たちはクリシュナから離れることを恐れていました。そして彼女たちはいつも互いに、いかに自分たちがクリシュナの美しい目と(主の)微笑みによって影響されているかと語り合いました 。

至高の愛する者はクリシュナであり、主はヴリンダーヴァンに位置しておられます。そして至高の愛される者はラーダーラーニーです。クリシュナは64個の重要な資質をお持ちであり、主の献身者はそれを聞くことに喜びを感じます。

バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーに説明されているように、(その)特徴は以下のようなものです。
1、His body is well constructed.主の体はよく作られている。(体格が良い?)2、His body has all auspicious symptoms.主の体にはすべての縁起のよい印がある。3、His body is beautiful.主の体は美しい。4、His body is very glorious.主の体は非常に輝かしい。5、His body is very strong.主の体は非常に強い。6、He always looks like a boy of sixteen.主はいつも16歳の少年のように見える。7、He is well versed in various languages.主は様々な言語に精通しておられる。8、He is truthful.主は正直である。9、He is decorated with pleasing words.主は快い言葉で飾られている。(?)10、He is expert in speaking.主は話すことにおいて熟達者である。11、He is very learned.主は非常に学識がある。(造詣が深い)12、He is very intelligent.主は非常に知性的である。13、He is influential.主は影響力が強い。14、He is joyful.主は喜びに溢れている。15、He is cunning.主はずる賢い。
16、He is expert.主は熟達者である。(?)17、He is grateful.主は感謝の念が強い。(心地よい、さわやかな、という意味もある。)18、He is firmly convinced.主はしっかりと納得している。(疑いの念がない)19、He knows how to deal with different circumstances.主は様々な状況にどう対処するかを知っておられる。
20、He is always conversant with scriptural injunctions.主はいつも聖典の定め(禁止命令、勧告)に精通しておられる。21、He is clean.主は清浄である。22、He is controlled by His devotees.主はご自分の献身者によって統御されている。23、He is steady.主は一貫しておられる。24、He is self-controlled.主は自己統制なさっている。
25、He is forgiving.主は寛容である。26、He is grave.主は荘重である。27、He is speculative.主は思索的である。28、He is fair in His dealings.主はご自分の行いにおいて公正である。29、He is magnanimous.主は寛大である。30、He is religious.主は宗教的である。31、He is a great hero.主は偉大な英雄である。32、He is merciful.主は情け深い。33、He is respectful.主は丁寧である。(尊敬の念がある、うやうやしい、など)34、He is competent.主は有能である。35、He is gentle.主は優しい。(温和、おとなしい、思いやりのある、など)36、He is modest.主は控えめである。(遠慮がちな、質素な、上品な、つつましい、など)37、He is the protector of the souls surrendered unto Him.主はご自分に服従した魂を守る方である。38、He is the deliverer.主は救い主である。39、He is the friend of the devotees.主は献身者の友である。40、He is submissive to love.主は愛に対して受動的である。(愛をもってなされる働きかけに対して従順である)41、He is all-auspicious.主は非常に縁起が良い。42、He is most powerful.主は非常に力強い。(この場合の mostは比較級ではない)43、He is famous.主は有名である。44、He is devoted to all living entities.主はすべての生命体に対して献身的である。45、He is worshipable by everyone.主はすべての人にとって崇拝しうる対象である。46、He is very attractive to all women.主はすべての女性によって非常に魅力的である。47、He is partial to His devotees.主はご自分の献身者に肩入れなさる。48、He is full of all opulence.主は富に満ち溢れている。49、He is the supreme controller.主は至高の統御者である。50、He possesses all honor.主はすべての名誉をお持ちである。

これらの50個の性質、あるいは特徴は、すべての生命体の中に断片的に存在しています。彼らが完全に霊的に自由になって自分の本来の状態に位置するとき、これらすべての性質は人間の人生において、ごく少量が知覚され得ます。しかし、クリシュナにおいてはそれらは完全に存在します。(訳注:これはたぶん、これらの性質はクリシュナの場合は完全であるけれど、人間として生きている生命体の場合は、完全に霊的になったときでも現れ方はごく控えめである、ということなのだろうと思います。)ヴィシュヌ、すなわち至高主において、そして主シヴァにおいても部分的に見られるほかの5つの超越的な性質があります。(以下に言及。)しかし、それらは普通の生命体においては見られません。これらの特徴は以下のようなものです。1、主はいつもご自分の本来の状態に位置しておられる。2、主は全知である。3、主は常緑、すなわち常に若々しい。4、主は永遠に喜びに満ちておいでである。5、主は(すべてに)精通しておられ、すべての完成の主である。(?)これらの5つの超越的な特徴の他に、霊的な天空、特にナーラーヤナが支配的な神であるヴァイクンターの惑星(複数)において見られる5つ(の特徴)があります。1、主は計り知れない性質を持っておられる。2、主は無数の宇宙を維持することができる。3、主はすべての化身の種である。(incarnation、この場合はすべての生命体の肉体?)
4、主はご自分が殺す敵に最高の完成を授けられる。5、主は自己を認識した者たちのうちで最も魅力的である。(?)

合計60個となる上記の性質や特徴は、ナーラーヤナの水準に至るまで見られます。しかしクリシュナは次のような4つの特別な性質をお持ちです。1、主はすばらしい娯楽を顕現することができる。2、主は超越的な笛の演奏において熟達している。3、主は愛情ある献身者に囲まれている。4、主は比類するもののない個人的な美しさを持っている。

このようにクリシュナは64個の超越的な性質をお持ちです。シュリーマティー・ラーダーラーニーは25個の超越的な性質をお持ちですが、彼女はそれらによってクリシュナさえも統御できます。(訳注:「彼女」の原語はSheで、最初が大文字。私の知っている限りでは日本語には女性形の「主」に当たる言葉がないので、単に「彼女」としています。)彼女の超越的な性質は以下のようなものです。1、She is sweetness personified.彼女は人格化した愛らしさである。2、She is a fresh young girl.彼女は若々しい少女である。3、 Her eyes are always moving.彼女の目はいつも動いている。4、 She is always brightly smiling.彼女はいつも明るく微笑んでいる。5、 She possesses all auspicious marks on Her body.彼女はご自分の体にすべての縁起の良い印をお持ちである。6、 She can agitate Krishna by the flavour of Her person.彼女は自分の体の匂いでクリシュナを興奮させることができる。7、 She is expert in the art of singing.彼女は歌うことの芸において熟達者である。(歌の名手である。)8、 She can speak very nicely and sweetly.彼女はとても良く、愛らしく話すことができる。9、 She is expert in presenting feminine attractions.彼女は女性的な魅力を表すことにおいて熟達者である。(女性的な魅力に溢れている)10、 She is modest and gentle.彼女は上品で優しい。(しとやかな、控えめな、慎み深い) (おとなしい、親切な、温和な)11、 She is always very merciful.彼女はいつも非常に情け深い。12、 She is transcendentally cunning.彼女は超越的にずる賢い。13、 She knows how to dress nicely.彼女は美しく着飾る方法を知っている。14、 She is always shy.彼女はいつも内気である。(恥ずかしがりの、引っ込み思案の)15、 She is always respectful.彼女はいつも丁寧である。(尊敬の念がある、うやうやしい、など)16、 She is always patient.彼女はいつも辛抱強い。17、 She is very grave.彼女は非常に荘重である。18、 She is enjoyed by Krishna.彼女はクリシュナによって楽しまれる。19、 She is always situated on the highest devotional platform.彼女はいつも最高の献身の水準に位置している。20、 She is the abode of love of the residents of Gokula.彼女はゴクラの住人たちの愛の住みかである。(愛の対象である、ということだと思います)21、 She can give shelter to all kinds of devotees.彼女はあらゆる献身者に庇護を与えることができる。22、 She is always affectionate to superiors inferiors.彼女はいつも目上の者にも目下の者にも情愛深い。23、 She is always obliged by the dealings of Her associates.彼女はいつも自分の仲間たちの行いに感謝している。( obliged、恩義を受けて感謝している)24、 She is the greatest amongst Krishna's girl friends.彼女はクリシュナの女友達の中で最も偉大である。25、 She always keeps Krishna under Her control.彼女はいつもクリシュナを自分の統御のもとに置いている。

このように、クリシュナとラーダーラーニーはどちらも超越的に資質を備えており、彼らはどちらも互いを魅了します。それでもその超越的な魅力においてラーダーラーニーはクリシュナより偉大です。ラーダーラーニーの魅力は恋愛における超越的な味わいであるからです。同様に、従者であること、友情、および他のクリシュナとの関係において(も)、超越的な味わいがあります。これらはバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーの内容を参照することで描写され得ます。(訳注:これは多分、「詳細はバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーに詳しく描写されている」ということだと思います。)

献身奉仕によって完全に浄化され、高度な意識に位置しているのでいつも喜びに溢れている者、シュリマッド・バーガヴァタムの学習に非常に執着している者、献身者との関わりにおいていつもほがらかである者、クリシュナの蓮の御足を自分の人生の究極の避難所として受け入れた者、そして献身奉仕のすべての詳細を喜んで実行する者は、自分の純粋な心の中に愛着の超越的な恍惚感を持っています。その恍惚的な存在のあり方がクリシュナへの愛と超越的な経験によってより豊かにされるとき、人は徐々に霊的な人生の成熟した調和(oneness)に至ります。そのような霊的な人生は、クリシュナ意識と献身奉仕に位置していない者には可能ではありません。この事実は、さらにバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーにおいて裏づけされています。そこでは次のように述べられています。「非献身者にとっては、献身奉仕の味わいを理解するのは非常に困難です。完全にクリシュナの蓮の御足の庇護のもとに入り、その人生が献身奉仕の海に浸った者だけがこの超越的な喜びを理解することができます。」

主チャイタンニャはこうして人生の超越的な状況と霊的な楽しみを簡潔に説明しました。そして主は、完成の最初の段階は、物質世界で知られているように、普通の意味(sense)において宗教的な人になることである、と教えました。完成の第2の段階は、物質的に豊かになることです。物質的な完成の第3の段階は、完全な感覚の喜びを得ることです。そして第4の段階には解放の知識があります。この水準の上には、第5段階にあって既に解放されている者、およびクリシュナ意識、すなわち主への献身奉仕において確立している者がいます。クリシュナ意識における献身奉仕の最高の完成においては、人は霊的な楽しみの恍惚感の味を経験します。

主はそれからサナータナ・ゴスヴァーミーに、自分は以前プラヤーグ(アッラハバッド)において、彼の弟ルーパ・ゴスヴァーミーに教えたのである、とおっしゃいました。主はサナータナ・ゴスヴァーミーに、自分が与えた知識を広めるようにルーパ・ゴスヴァーミーに力を授けた、と断言なさいました。主(訳注:チャイタンニャ)はそれから同様にサナータナ・ゴスヴァーミーに、主(訳注:クリシュナ)への超越的な愛情ある奉仕について本を書くように命令なさり、そして主は彼にマトゥーラー地域にあるクリシュナが娯楽をなさった様々な場所を発掘する権限を与えられました。サナータナ・ゴスヴァーミーはまた、ヴリンダーヴァンに寺院を建て、主チャイタンニャご自身によって認められたようにヴァイシュナヴァ主義の原則に関する本を書くように助言されました。サナータナ・ゴスヴァーミーは、主のこれらすべての望みを実行しました。彼はヴリンダーヴァンにマダナモハナの寺院を建て、そして彼はハリ・バークティ・ヴィラーサなの、献身奉仕の原則に関する本を書きました。主チャイタンニャはさらにサナータナ・ゴスヴァーミーに、いかにして人がクリシュナとの完全な関係にありながら物質世界に住むことができるかを教えられました。

そして主はまた彼に、形式的な放棄の必要性はないとも教えられました。これらの教えの解説は、現在の時代には霊的に発達していないけれど放棄階級となる人がたくさんいる、ということです。主チャイタンニャは、人がクリシュナ意識の完全な知識を持たずに放棄階級となることを認められませんでした。実際は、その行いが普通の者より低いのに、放棄階級にある者と自称する多くのいわゆるサンニャースィーたちがいることが見受けられます。主チャイタンニャ・マハープラブは、そのような偽善を認められませんでした。主はサナータナ・ゴスヴァーミーに、自分の様々な本で献身奉仕という主題について詳細に書くように教えられました。

物質世界にいる間でさえ経験することのできる霊的な人生の完成された水準は、バガヴァッド・ギーターの12章において次のように描写されています。「妬み深くなく、すべての生命体の親切な友である者、自分が所有者であると考えない者、偽りの自我から自由であり、幸せと苦しみ(distress)の両方において等しい者、いつも満足していて、決意を持って献身奉仕に携わっている者、そしてその心と知性が私と共通している者(in agreement with)、、、その人は私にとって非常に愛しい者です。一般の様々な活動(ordinary course of activities)に依存していない者、純粋であり、熟達者であり、不安がなく(without care)、すべての痛みから自由である者、そして何らかの結果のために大変な努力をすることのない者は、私にとって非常に愛しい者です。喜びにも悲しみにもしがみつかない者、嘆きもせず、望みもしない者、そして縁起の良いものも不吉なものの放棄する者は、私にとって非常に愛しい者です。友にも敵にも等しい者、名誉においても不名誉(dishonor)も寒さにも、幸せにも苦しみにも、名声にも悪評(infamy)にも心の均衡を保つ者、いつも汚染から自由であり、いつも静寂であり、どんなものにも満足している者、どんな住まいでも気にしない者、知識において固定していて(訳注:しっかりした知識を持ち)、献身奉仕に携わっている者は、私にとって非常に愛しい者です。この献身奉仕の不滅の道を辿る者、そして私を至高の目的地として信念を持って完全に働く者は、私にとってとてもとても愛しい者です。(BG.12.13-20)。 たとえそのような超越的な立場に位置していなくても、もしもそのような超越的な人生を認めるなら、その人はクリシュナにとってとても愛しくなります。シュリマッド・バーガヴァタム(2.2.5)には、献身者は常に至高主の慈悲に依存し続けるべきであり、物質的な必要性に関しては彼は何であれ努力せずに得られるもので満足しているべきである、と述べられています。

このことに関して、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは、献身者は決していかなる助けを求めてでも物質主義的な者に近づくべきではない、と助言なさいました。人の身体的な必要性に関して言えば、人は道から破れた衣類を拾い上げることができ、木によって差し出される果物を取ることができ、川を流れる水を飲むことができ、そして自然自身によって作られた洞穴にすむことができます。たとえこれらすべてのことをすることができなくても、それでも人は、至高主がすべての者に食べ物と住みかを与えてくださることを理解して、完全に主に依存すべきです。人は、主は決してご自分に完全に服従した献身者の面倒を見切れないということはない、ということを理解すべきです。ともあれ、献身者はいつも守られています。したがって、彼は自分の維持について全く心配すべきではありません。

サナータナ・ゴスヴァーミーはこのように献身奉仕のすべての段階について問い、そして主チャイタンニャは彼にシュリマッド・バーガヴァタムのような権威ある聖典から最も内密に教えました。主はまた、クリシュナの超越的なお住まいについての情報を与える、ハリヴァムシャとして知られるヴェーダ文献も参照なさいました。この情報は、クリシュナの力に挑戦して負けた後で(インドラがクリシュナに)祈りを捧げたとき、インドラによって明かされました。ハリヴァムシャには、鳥や飛行機は飛ぶことができるが、彼らは高位の惑星系に至ることはできない、と述べられています。高位の惑星系は、宇宙の中心部(訳注:middle, 物理的な中央という意味ではなく、上中下の中を指すのだと思います)に位置する太陽から始まります。太陽の先には、大いなる禁欲と苦行によって上げられた人々が位置する他の惑星系があります。物質宇宙全体はデヴィーダーマと呼ばれ、その上には主シヴァとその妻パールヴァティーが永遠に住まわれるシヴァダーマがあります。その惑星系の上には、ヴァイクンターとして知られる無数の霊的な惑星が位置する霊的な天空があります。これらのヴァイクンターの惑星の上には、ゴロカ・ヴリンダーヴァンとして知られるクリシュナの惑星があります。ゴロカという言葉は、「牛(cows)の惑星」を意味します。クリシュナは大変牛がお好きなので、主のお住まいはゴロカとして知られています。ゴロカ・ヴリンダーヴァンは、すべての物質的および霊的な惑星を合わせたよりも大きいです。ハリヴァムシャの中にある祈りにおいて、インドラは、ブラーマーに尋ねることによってさえゴロカの位置づけを理解することができなかった、と認めています。

クリシュナのナーラーヤナ拡張体の献身者である者たちはヴァイクンターに至りますが、ゴロカ・ヴリンダーヴァンに至ることは非常に困難です。実に、その惑星は主チャイタンニャあるいは主シュリー・クリシュナの献身者である者によってのみ到達し得ます。主クリシュナに次のように認めたのはインドラでした。「あなたは霊的な世界にあるあのゴロカの惑星から下りていらっしゃいました。そして私が引き起こした騒動は、すべて私の愚かさのせいです。」そのためインドラは主クリシュナに自分を許してくれるように乞い願いました。

主クリシュナの娯楽の最後の部分は、シュリマッド・バーガヴァタムの中でモーシャラ・リーラーとして描写されています。これはクリシュナのこの物質世界からの消滅の神秘を含んでいます。その娯楽において、主は狩人によって殺される役を演じられました。主クリシュナの娯楽の最後の部分について、多くの不適切な説明が存在します。(クリシュナの髪の化身の描写などです。)しかし主チャイタンニャは、これらの娯楽を正しく描写なさり、それらに正しい解釈を与えられました。クリシュナの髪の化身について言えば、シュリマッド・バーガヴァタム、ヴィシュヌ・プラーナ、およびマハーバーラタにおいて言及されています。そこには、主はご自分の頭から灰色の毛(訳注:a gray hair普通は白髪を指す)と黒い毛を抜き、そしてこれらの二本の毛がロヒニーおよびデヴァキーというヤドゥ王朝の二人の妃たちの子宮に入った、と述べられています。また、主クリシュナはすべての悪魔たちを打ち破るために物質世界に降臨なさるとも述べられていますが、一部の者は、クリシュナはこの宇宙の中の牛乳の海に横たわるヴィシュヌの化身であると言います。シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは自著ラグー・バーガヴァタームリタにおいて、そして彼の解説者シュリー・バラデヴァ・ヴィデャーブーシャナも、これらの事柄を完全に議論し、正確な事実を確立しました。(訳注:二人とも議論して事実を確立したが、前者はそれを自著の中で行った、ということ。)シュリー・ジーヴァ・ゴスヴァーミーもまた、これらの事柄をクリシュナ・サンダルバーにおいて議論しています。

主チャイタンニャがシュリー・サナータナにご自分の教えを終えられたとき、力づけられて悟りを開いた(empowered; 能力を向上させられた、権限を与えられた)(enlightened; 啓蒙された)サナータナは、非常に超越的に喜んでいたので、直ちに主チャイタンニャの足元にひれ伏して言いました。「私は非常に身分の低い家庭に生まれました。そして私はいつも卑しい人々と関わってきました。したがって、私は罪人の中で最も低いものです。それでもあなたはとても親切でいらっしゃるので、この宇宙で最も偉大な存在である主ブラーマによってさえ理解されない教えを私に教えてくださいました。あなたの恵みによって私はあなたが私に教えてくださった結論の真価を理解しました。しかし私はとても低いので、あなたの教えの海の一滴にさえ触れることができません。ですから、もしもあなたがつまらない人間でしかない私に踊ることを望まれるなら、どうかあなたの足を私の頭の上に置くことによって、私にあなたの恵みをください。」

このようにサナータナ・ゴスヴァーミーは、主の恵みによって主の教えが実際に自分の心の中で発達するように、主の認証を求めて祈りました。そうでなければ自分が主の教えを描写できる可能性は全くないということをサナータナは知っていました。このことの解説は、アーチャーリャ(霊的指導者)はより高い権威者によって権威を与えられているということです。教えそれ自体だけでは人を熟達者にすることはできません。霊的指導者、すなわちアーチャーリャによって恵みを与えられない限り、そのような教えは完全に顕現するようになることはできません。したがって、人は霊的指導者の教えが自分の中で発達することができるように、霊的指導者の恵みを求めるべきです。サナータナ・ゴスヴァーミーの祈りを受け入れた後で、主チャイタンニャはご自分の足をサナータナの頭の上に置き、ご自分の教えのすべてが完全に発達するように彼に恵みを授けられました。

こうして主は至高神への愛の究極の段階を描写なさいました。主チャイタンニャは、そのような描写はあまり綿密には与えられ得ないが、自分は彼に可能な限りのことを教えたのである、とおっしゃいました。結論は、主チャイタンニャのサナータナ・ゴスヴァーミーへのこれらの会話と教えを注意深く聞く者は誰であれ、非常に早くクリシュナ意識に至り、主への献身奉仕にいそしむということです。

« Previous Next »