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第29節

プラクリテルグナサンムーダハー
サジャンテグナカルマス
ターナクリツナビドマンダーン
クリツナヴィンナヴィチャーライェト

prakṛteḥ —物質自然の; guṇa —三様式によって;sammūḍhāḥ —物質的なものの見方にだまされて; sajjante —彼らは従事する; guṇa-karmasu — 物質的活動に;tān —それらの知識の乏しい人々; akṛtsna-vidaḥ —自己の本性の悟りに鈍い; mandān —真に乏しい人々;kṛtsna-vit —自己の本性の悟りに鈍い; na — ~でない;vicālayet —執着する

物質自然の三性質に惑い迷って無知な者は物質的活動に没頭し執着するそれらが無知に起因する愚行であっても賢明な人は彼らの心を不安にしてはいけない

 知性の未発達な人々は、粗雑な肉体意識を自己だと誤認していいます。そして、五官で感知できる世界、物質世界にどっぷりと浸っています。この肉体は物質自然からの賜物ですが、肉体意識にあまりにも執着しきっている人を、マンダ(怠け者)と呼びます。魂のことを理解できないのろまだからです。無知な人々は、肉体が自分だと思っています。そして肉体上の関係者を血族、親族、同族として、他人と区別します。この肉体が生まれた土地は崇拝の対象となります。父祖の地、祖国、、、。先祖伝来の宗教的儀礼の手順を、間違いなく履行するのが、彼らにとって最も尊いことなのです。また、こうした有形のものにしか意識が働かない人々は、社会事業とか、愛国運動とか、利他的活動などにも従事します。彼らはこの種のタイトルに魅入られて、物質のフィールドを常に忙しく駆けずり回っています。彼らにとって精神的な目覚め鋳とか悟り鋳などと称するものは、神話伝説の類であって、まったく興味も関心もなく、自分たちとは無縁なものだと思っています。しかし、そうした迷える人々でも、基礎的な道徳律である非暴力とか、博愛、慈善的な仕事にたずさわることはできるのです。ですから、精神的に目覚めた人々は、物質の海に頭ごと沈んでいる人々、まだ目覚めの時期が来ていない人たちの心をかき乱すようなことをしてはなりません。黙って自分の精神的な仕事を続けていればよいのです。

 無知な人々は、クリシュナ意識の活動がどのようなものか、その真価が全くわからないのです。ですから、そういう人の心を動かそうとしても貴重な時間の浪費になるからやめなさい、と主クリシュナは私たちに助言してくださいます。でも主の献身者たちは主の真意を知っていますから、主よりももっと親切です。彼らは、あらゆる種類の危険も承知の上で無知な人々にも近づいて行って、クリシュナ意識での活動に参加することを勧めます。人間にとって絶対的に必要なことなのですから、勧めないではいられないのです。

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