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第42節

tasmād ajñāna-sambhūtaṁ
hṛt-sthaṁ jñānāsinātmanaḥ
chittvainaṁ saṁśayaṁ yogam
ātiṣṭhottiṣṭha bhārata

tasmāt — それゆえ; ajñāna-sambhūtam —無知から生じた;hṛt-stham — ハートに位置した; jñāna —知識の;asinā —武器によって; ātmanaḥ —自己の; chittvā —斬りおとす; enam — この; saḿśayam —疑い; yogam —ヨーガに; ātiṣṭha —位置して; uttiṣṭha —立ち上がって戦え;bhārata — おお、バーラタの子孫よ

バーラタよ、心に浮かぶ疑いと迷いは君の無知が原因で生ずるのださあ、知識の剣でそれを斬り捨てヨーガで武装し立ち上がって戦え

“無知”はクリシュナ意識の道を進むにつれて薄らいでいきます。そしてクリシュナ意識は、いろいろなタイプの供儀によって目覚めます。神々を祭って供養すること。宇宙の原理を探求すること。独身生活をして身を清浄に保つこと。家庭人として祖先や子孫に対する義務を立派に果たすこと。感覚の欲望をコントロールすること。ヨーガの秘法を実習すること。さまざまな苦行をすること。金品その他の所有物を寄付すること。ヴェーダに学ぶこと。ヴァルナーシュラマ社会制度での役割をはたすこと。これらはすべて、供儀であり、古代から決められている活動です。しかし、すべての活動を通じて、最も重要なことは、自己実現、つまり自己の本性を自分が何者であるかを悟ることです。ですがクリシュナの権威を疑う者は必ず退転します。ですからギーターを始めとして、他の啓示聖典を学ぶには、真正のグルに仕えながら学べ、と、ここで助言しているのです。真正のグルとは、太古の昔から、至上主の教えをそのまま師弟継承して受け伝えてきた正統なグルのことです。ギーターの教えは数百万年前に主が太陽神に教え、その後、この地球世界にに下り伝わってきました。ですから人間はギーターに説かれているとおりの道に従って進まなければなりません。それから、我欲が強くて力や富などを誇張し、他人を道から外らせるような人々に、くれぐれも用心しなくてはいけません。信じて尊ぶべき御方はただひとり主あるのみ、そして主の御活動は人知を越えたものです。このことがわかる人はギーターを学び始めたときすでに解脱しているのです。

以上、『シュリーマド・バガヴァッド・ギーター』第四章“超越的知識”に関するバクティヴェーダンタの解脱は終了。

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