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(二)

2. 海も川もまた湖も―しゃく熱の陽光に干され、水はかれ、人々は渇き、絶望のうちに― ひたすら雨を待つ。そのとき、激しい雨は渇ききった石にさえ降り注ぎ、その渇きを潤し、やがてあふれる。

福祉国家は、国民に重い税金を課します。所得税、物品税、固定資産税、住民税、消費税、関税などがあります。やがてそれらの税金が巨額に蓄えられると、国民の福祉に利用されます。それでも時には、ただ感覚を満足させるためにむだ遣いしてしまう、金銭の利用法を知らない国民にさえも、税金からの恩恵が湯水のごとく与えられることもあります。

人々は地域によって不公平な雨量を、自分の罪深い行いに対する大自然の怒り、と考えま式この考え方はある程度真実を含んでいます。ですから、国税を平等に分配するに当たっては、人々が本当に正直で徳が高くなければなりません。税金を納める際、正直でなければならなく、そしてその税務も、正直な役人に管理されなければならないのです。現代の民主主義国家では、国民の手で政治が成り立っているので、苦情をこぼす理由はないはずです。国民自身が正直でなければ、政治の堕落は、避けられないことです。あくどい政府の人々に、どれほど聞こえのよい肩書きがつけられていても、その政治家が善良な人でない限り、よい政治は築かれないのです。どの政党が主権を握っても、同じことが言えます。ですから民衆の意識がよい性質を持つ、ということが、よい行政と、国の財産を平等に分配するに当たっての、第一条件になります。

古代、王たちは、理想的な教師たちから政治学を学び、村に住む人々は、精神と物質双方からの社会の発展のために、ヴェーダ原理に基づいた自己実現(悟り)の方法を教えられました。ですから人々は、神の意識が身についていて行いが大変正直になり、そして王たちも国家の福祉に責任を持っていました。この同じ原則は、いまだに民主主義政治
の中に見受けられます。無責任な選挙団体の人々はいつも選挙で負け、よりよい行政のために、責任のある団体にその立場を譲らなければなりません。宇宙の行政においては、神の僕だけで成り立っている唯一の政党があり、無数の惑星にいる責任深い支配者たちは、最高主の指導のままに、宇宙の法を守り続けます。それでも人々は、おのれの愚かさのために苦しむのです。

では、その患かさとは一体何でしょうか。『Bhagavad-gītā』(バガヴァット-ギータ)によれば、人々は最高神の満足のために、yajñas(犠牲)を実行すべきだ、と言われています。最高神は至るところに広がり、存在しています。そのような最高の真理である神を満足させるヤグニャを、行う方法を学ばなければならないのです。それぞれの時代に、推薦されている特別なヤグニャがあります・現代の鉄工業の時代に推薦されているヤグニャは、神の意識にするために、人々の心を啓蒙することです。このヤグニャの方法は、サンキールタンヤグニャ(失われた精神的意識をよみがえらせるという目的で大衆を動揺させること)と呼ばれます。歌ったり、踊ったり、ごちそうを食べたりすることを精神的に行うことで、この運動が実行されるや否や、人々は自然に従順で正直になるのです。

従順さというのが、教育における最も重要な原則です。人々は神の規則に服従していないので、雨も財産も平等に分配されていません。あくまでも服従しない人間は、いかなるよい性質をも持ち合わすことはできません。そのような服従しない指導者が、服従しない人々を導くので、ちょうど盲人が他の盲人たちを引き連れて歩いているときのように、政治全体は汚され、そして危険な状態に置かれています。ですから国税は、人々の性格を改善するために活用されるべきです。そのようにすることによって、国民たちに幸福がもたらされるでしょう。
annād bhavanti bhūtāni parjanyād anna-sambhavaḥ yajñād bhavati parjanyo yajñaḥ karma-samudbhavaḥ (Bg.3.14)
”全生物の体は、穀物によって生存し、穀物は雨から生じ、雨は犠牲の履行によっ降り、そして犠牲は定められた義務から生まれる”

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