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(三十二)

32. 美しい白雲は、水を分け与える責任から解放され中空を漂う。家族への一切の責任家ら解き放たれた托鉢僧のごとく。

いわゆる家庭への義務に執着を持っている限り、人はその出費でいつも頭を痛めるこ‐とになります。ヴァルナーシュラム制度における社会生活の川段階は、大変に科学的で、協調的でもあります。学生生柄では、人間生活の雌も重要な原川を教え込まれます。家庭生活に入っても、その人は、ブラフマチャーリー・アーシュラマのときにすてに訓練を受けているので、家庭人としての義務を果たすことができます。そして五十歳になると、家庭生活から引退し、サンニャーサとしての生活の準備を始めます。

家庭を持つ人々は、ブラフマチャーリー、ヴァーナプラスタ、サンニャーサたち、つまり他の三段階の生活を助けるという義務に縛られています。このように、すべての人々に精神教養のより高い段階へと引退できる、という機会が与えられていました。そして家庭持ちの人は、彼らを一人として無視しませんでした。プラフマチャーリー、ヴァーナプラスタ、サンニャーサたちは、日用品を最小限にとどめていたので、彼らの生活援助のために出し惜しみする人は、誰もいませんでした。

しかしカリ・ユガでは、制度全体は逆になっています。学生たちは、父親や義父の仕送りて、ぜいだくに暮らしています。教育が終了すると、甘やかされた学生たちは、大学で得た資格のおかげで家庭生活に入ります。そして楽をするために、必ずお金が必要になってきます。ですから、そのような人はいわゆるヴァーナプラスタや、サンニャーサのためには、一銭ですら分け与えることができません。最近のヴァーナプラスタやサンニャーサは、家庭生活に失敗した人々がはとんどです。したがって、いわゆるサンニャーサもまた、サンニャーサ・アーシュラマという別の名前をつけて家を建て、他人に経費を払わせながら、ありとあらゆるぜいたくな生活へとのめり込んでいきます。これらのヴァルナやアーシュラマ全体は、超越的な詐欺師であふれてしまっています。

しかし彼らが全員、全く本物でないわけではありません。人がにせ札を握らされたからといって、ただ単に、お金というお金が全部にせ札だと、結論を下すのには早過ぎます。サンニャーサ・アーシュラマとは、あらゆる心配や不安から全く自由になっていることで、その役目は、物質主義に陥っている堕落した魂を、向上させることにあります。サンニャーサが白い雲のように、苦労や心配から自由にならなければ、社会のためになるよいことをするというのはむずかしいのです。

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