第28節
アルジュナウヴァーチャ
ドゥルストヴェマンスヴァジャナンクリシュナ
ユユツンサムパスティタン
シダンティママガトラニ
ムカンチャパリシュスヴァティ
arjunaḥ uvāca — アルジュナは言いました。; dṛṣṭvā —見た後; imam —これらすべてsva-janam —血縁の者たち; kṛṣṇa — おおクリシュナ; yuyutsum —全員戦意のある; samupasthitam — そこにいる; sīdanti — 震えている; mama —私の; gātrāṇi —体の手足; mukham—口; ca —〜もまた; pariśuṣyati —渇く
アルジュナは言いました。いとしのクリシュナよ、友人や親戚の人々が戦意に燃えて私の目の前で戦おうとしているのを見ると、手足はふるえ口はからからに渇きます。
神に対する純粋な愛を持っている人は、聖人や神々に見られるようなよい性質を具えています。ところが高い教育を受け様々な教養を身につけて、外見は実に立派な人物のように見えても、献身者でない人は、人間として最も大切なもの、精神的な性質に欠けています。自分の肉親や親戚の人たち、また多勢の友人たちがこの戦場に集まってお互い同士で戦おうとしている情景を見て、アルジュナの胸は悲しさ情けなさで張り裂けそうになりました。自分の部下たちについてははじめから気の毒に思っていましたが、彼は敵方の将兵に対しても同情しています。かわいそうに彼らはまもなく死ぬのだ、親も妻子もいるだろうに、、、。それで彼の手足はガタガタふるえ、口はカラカラになりました。それに敵も味方も戦意に燃えている、このことにも彼は少なからず驚いてしまいました。実際に同族が、アルジュナと血がつながっている人々が、彼と戦うために出てきています。これはアルジュナのような親切な献身者にとってあまりのことでした。ここには書いてませんが、手足がふるえ口が渇いただけではなく、おそらく彼は悲痛な叫び声をあげたことでしょう。このような症状はアルジュナが弱いからではなく、優しい心、おもいやりの心を持っている証拠です。神の純真な献身者が持つ特性の一つです。ゆえにこう言われています。
yasyāsti bhaktir bhagavaty akiñcanā
sarvair guṇais tatra samāsate surāḥ
harāv abhaktasya kuto mahad-guṇā
mano-rathenāsati dhāvato bahiḥ
「バガヴァーンに対する堅固な愛を持っている人は、神々の具える善良な性質を全部持っています。しかしこうした愛を持たない人は心の平面にとどまってぎらぎらとした物質エネルギーに魅了されているので、単に物質的、外面的な能力資質を持っているにすぎません。それは前者に比べてまことに価値の低いものです」(シュリーマド・バーガヴァタム5.18.12)