第20節
prakṛtiṁ puruṣaṁ caiva
viddhy anādī ubhāv api
vikārāṁś ca guṇāṁś caiva
viddhi prakṛti-sambhavān
prakṛtim — 物質自然; puruṣam — 生命体; ca—もまた; eva — 確かに; viddhi — あなたは知らなくてはならない; anādī — 無始; ubhau — 両方とも; api — もまた; vikārān — 変化; ca — もまた; guṇān — 物質自然の三様式ca —もまた; eva —確かに; viddhi — 知る; prakṛti —物質自然; sambhavān — から生み出された
物質自然と生命体はともに無始である。それらの変化と3様式はともに物質自然の産物である。
この章で与えられる知識により、肉体(活動の田野)と知田者(個別魂とスーパーソウルの両者)について理解することができる。この肉体は活動の田野であり、そして物質自然で組成されている。肉体をまとい肉体の活動を享受している個別魂がプルシャすなわち生命体である。そのプルシャがひとりの知田者であり、そしてスーパーソウルがもうひとりの知田者である。もちろんスーパーソウルと個別魂はバガヴァーンの種類の異なった顕現であるということを理解しなければならない。生命体は主のエネルギーに属し、スーパーソウルは主自身の拡張体に属する。
物質自然も生命体も永遠である。つまり両者とも創造の以前から存在しているのである。物質顕現は至上主のエネルギーから現われ、そして生命体も至上主のエネルギーの顕現なのだが、生命体は上位エネルギーに属するのである。物質自然も生命体もこの宇宙が現われる以前から存在していた。物質自然はバガヴァーン、マハー・ヴィシュヌに吸収されていたのだが、命じられたときマハト・タットヴァの作用によって顕現した。同様に生命体も主のなかにいた。そして束縛されていたために至上主に仕えることを嫌い、そのために精神界に入ることを許されないでいた。そして物質自然の現出とともに再び物質界で活動して、精神界に入る準備をする機会が生命体に与えられるのである。これが物質創造の神秘である。実際、生命体は至上主の精神的な一部なのだが、反抗的性質のために物質自然につながれているのである。至上主の上位エネルギーである生命体がどのようにして物質自然と係わり合うようになったかは重要なことではない。それはバガヴァーンがよく御存知でいらっしゃる。そして教典の中で主は「物質自然に魅き付けられた者たちは厳しい生存競争の下にいる」とおっしゃる。だが私たちはこの数節の説明から、三様式による物質自然の変化と影響も物質自然の産物に他ならないということを理解しなければならない。生命体に関するあらゆる変化と多様性は肉体が原因で起こるのである。精神魂に関する限り、全ての生命体は同等なのである。