第65節
man-manā bhava mad-bhakto
mad-yājī māṁ namaskuru
mām evaiṣyasi satyaṁ te
pratijāne priyo ’si me
mat-manāḥ — 私のことを思い; bhava — まさに~になる;mat-bhaktaḥ — 私の献身者; mat-yājī — 私の崇拝者; mām— 私に; namaskuru — 敬意をささげる; mām — 私に; eva — 確かに; eṣyasi — あなたは来るだろう; satyam — 本当に; te — あなたに; pratijāne — わつぃは約束する; priyaḥ — 親愛なる; asi— あなたは~である; me — 私にとって
常に私のことを思いなさい。私の献身者になり、私を崇拝し、私に敬意を捧げなさい。そうすればおまえは間違いなく私のもとにくる。親友のおまえにそれを約束しよう。
最も内密な知識とはクリシュナの純粋な献身者になり、常にクリシュナのことを思い、クリシュナのために活動することである。見せかけの瞑想家になってはならない。いつもクリシュナのことを考えることができるように自分の生活を形作るべきである。人は自分の日常生活がいつもクリシュナと結び付いているように行動すべきである。1日24時間クリシュナのことのみを考えているような生活をしなければならないのである。そしてそのような純粋なクリシュナ意識の人は疑いなくクリシュナの王国に帰り、そこでクリシュナと直接交際することができると主は約束される。アルジュナがクリシュナの親友なので、この最も内密な知識がアルジュナに伝えられた。アルジュナの足跡に従う者は誰もがクリシュナの親友となり、アルジュナが到達したのと同じ完成に達することができる。
2本の腕でフルートを持ち、孔雀の羽で髪を飾った美しい顔を持つ青い肌の少年クリシュナに心を集中すべきであると特に強調される。『ブラフマ・サンヒター』やその他の経典にはクリシュナに関する記述が見られる。人はバガヴァーンの本来の姿であるクリシュナに心を集中すべきである。主の他の姿に注意を逸らすことさえすべきではない。主はヴィシュヌ、ナーラーヤン、ラーマ、ヴァラーハなど無数の姿を持っていらっしゃるが、献身者はアルジュナの前に現させた姿に集中すべきである。クリシュナの姿に心を集中させることが最も重要な知識である。そしてアルジュナがクリシュナの親友であったので、この知識がアルジュナに与えられたのである。