第23章
供儀を行っていたブラーフマナ の妻たちを救う
昼になると牧童たちは空腹を感じました“子供たちは朝食を食べていなかったからです《子供たちはすぐにクリシュナとバララーマに近づいて言いました。「クリシュナ、バララーマ、君たちはとても力が強くて悪魔をたくさん殺すことができるけど、今日僕たちを襲っているのはお腹の虫の鳴き声だよ。お腹がペコペコでどうしようもないよ。お腹の虫が鳴かないように何とかしてよ」
友人たちにこのように頼まれて、主クリシュナとバララーマは供儀を行っていたブラーフマナの妻たちに慈悲をお示しになりました。彼女たちは主の偉大な献身者だったので、主はこの機会を利用して彼女たちを祝福してあげようと思われたのです。主はおっしゃいました。「さあみんな、近くのブラーフマナの家に行くといいよ。そこの人たちは天の星に行こうと思ってアーンギラサというヴェーダ儀式を行っている。みんなでそこに行くといいよ。でも、そこのブラーフマナたちはヴァイシュナヴァじゃないよ。僕たちのクリシュナ、バララーマという名前も唱えられないくらいだから。ヴェーダの目的は僕を見つけることだけど、そこのブラーフマナたちはヴェーダ讃歌ばっかり唱えているよ。あの人たちはクリシュナとバララーマの名前に関心がないから、僕の名前では何も頼まない方がいいよ。バララーマの名前で施し物をくださいって言った方がいいかも知れなしね」
一般に布施は高い階級のブラーフマナに与えられるものですか、クリシ『一ナとバララーマはブラーフマナの生まれではありませんでした。バララーマはクシャトリャのヴァスデーヴァの息子として知られていました。そしてヴリンダーヴァンではクリシュナはヴァイシャであるナンダ・マハーラージの息子として知られていました。クリシュナもバララーマもブラーフマナの共同体に属していらっしゃいませんでした。ですから、クリシュナは供儀を行っていたブラーフマナたちがクシャトリヤやヴァイシャに施し物をしないかも知れないとお考えになりました。
このようにバガヴァーンに命令されて、子供たちはブラーフマナの家に行き施し物をお願いしました。子供たちは両手を合わせて地面にひれ伏し尊敬を表しました。「おお地上の神々よ、僕たちは主クリシュナとバララーマにつかわされて来ました。おじさんたちに神様のお恵みがありますように。クリシュナとバララーマのことはよく知っていらっしゃると思います。クリシュナとバララーマが今近くで牛の世話をしています。きょうは何か食べ物をちょうだいしに参りました。おじさんたちはブラーフマナで宗教原則をよく虻っていらっしゃいます。何か食べ物を施していただければ、僕たちはクリシュナとバララーマといっしょに食べることかできます。おじさんたちは人間社会の中で最も尊敬されるブラーフマナです。宗教についてよく知っていらっしゃる人たちです」
牧童たちは田舎の子供であったので、宗教儀式に関するヴェーダの原則について知っているはずはなかったのですが、彼らはクリシュナやバララーマと交際していたために自分たちがヴェーダ原則をすべて知っていることを言葉の中にほのめかしました。牧童たちはブラーフマナたちに「宗教原則をすべて知っている人」と呼び掛けました。バガヴァーンでいらっしゃるクリシュナとバララーマが食べ物をお求めになったとき、『バガヴァッド・ギーター』にある「ヤジュニャ(供犠祭)の目的はヴィシュヌを喜ばせることである」という記述にしたがって、ブラーフマナたちはためらわずに食べ物を捧げるべきであるということを示すために、子供たちはブラーフマナたちにそのように呼び掛けたのです。
「主ヴィシュヌがクリシュナとバララーマとして、立って侍っていらっしゃいます。ですから蓄えている食べ物をすぐに捧げてください」と牧童たちはさらに言葉を続けました。子供たちはブラーフマナたちにどのようにして食べ物を取るかを説明しました。ヴァイシュナヴァと呼ばれている純粋な献身者は、一般には普通の供犠祭には参加しません。しかしヴァイシュナヴァはディークシャー、パシュ・サンスター、ソウトラーマニという儀式についてはよく知っています。ディークシ了!の過程か終わ二L亘動物の生賛の儀式と酒を捧↑げるソウトラマーニの儀式が始まる前に食べ物を食べることは許されています。ですから子供たちは言いました。「おじさんたちの儀式はそこまで進みましたので、食べることは許されています。ですからどうか食べ物をください」
主クリシュナとバララーマの友人たちは素朴な牧童に過ぎなかったのですが、彼らはヴェーダ儀式の供犠祭を行う高い階級に属するブラーフマナたちにさえ指示を与える立場にいました。しかしスマールタ・ブラーフマナたちは、ただ供犠祭を行うことしか心になかったので、主の超越的な献身者たちの指示が理解できませんでした。ブラーフマナたちは、主クリシュナとバララーマから施し物を直接求められるということがどれほど素晴らしいことなのかも理解できなかったのです。ブラーフマナたちはクリシュナとバララーマが食べ物を求めていらっしゃることを聞いたのですが、彼らはそれをまったく気にも留めず、子供たちを無視しました。このように、すべての非献身者のブラーフマナは自分が高い地位にいると考えています。しかしそのようなヴェーダ儀式に関する高い知識にもかかわらず、彼らは無知で愚かな人々に過ぎないのです。ヴェーダの目的はクリシュナを知ることである、と「ハガヴァッド・ギーター」に説明されています。ヴェーダの目的を知らない彼らがいかなることを行ったとしても、まったく無意味なのです。彼らはヴェーダ知識や儀式については精通していますが、クリシュナを理解していないので彼らのヴェーダ知識は表面的なものに過ぎません。ですからチャイタンニャ・マハープラブが教えてくださったように、人はブラーフマナの家庭に生まれる必要はないのです。そしてクリシュナ意識の科学やクリシュナ自身について知っている人はブラーフマナ以上の存在であり、グルになる資格を持っているのです。
供犠祭に関しては様々な規則があります。それらはデーシャ(場所)、カーラ(時間)、プリタグドラヴイャ(様々な祭具)、マントラ(讃歌)、タントラ(教典による証明)、アグニ(火)、リトヴイジ(供犠祭を行う学識のある人)、デーヴァター(神々)、ヤジャマーナ(供儀祭を行う人)、クラトウ(供犠祭自体)、ダルマ(手順)などの項目です。これらすべてはクリシュナの満足のためのものです。クリシュナは物質的感覚の知覚や思索を越えたハガヴァーンであり絶対真理でいらっしゃるので、主がすべての供犠祭をお受けになる御方であると教典に記述されています。主は普通の子供のような姿で現れていらっしゃいます。しかし自分自身は体であると考えている人にとって、主を理解することは非常に困難です。物質の体に快楽を与えることや、スヴァルガ・ヴァーサと呼ばれる高位の惑星に住むことにこのブラーフマナたちは大きな関心を持っていました。ですから、このブラーフマナたちはクリシュナの地位を理解することがまったく不可能だったのです
ブラーフマナたちに完全に無視されたことを子供たちは理解しました。子供たちはとてもがっかりしてクリシュナとバララーマのところに帰り、事情を説明しました。子供たちの言葉を聞いてハガヴァーンは微笑まれました。物を乞うとはそんなものだからブラーフマナに相手にされなかったからといって落胆してはならない、と主はおっしゃいました。物乞いをしている時には、どこへ行っても成功するとはかぎりません。いつもうまくいくと考えてはならない、と主は子供たちを説得されました。ある場所ではうまくいかないかも知れませんが、かといってそれに落胆してはなりません。主クリシュナは、次は供犠祭を行っているブラーフマナの妻たちのところに行くように言われました。主は彼女たちが偉大な献身者であるとおっしゃいました。「彼女たちはいつも僕たちのことだけを考えている。そこに行って僕とバララーマの名前で食べ物をくださいと言えばいいよ。君たちの欲しいだけ、きっとくれると思うよ」
クリシュナの命令にしたがって子供たちはすぐにブラーフマナの妻たちのところに行きました。彼女たちは家の中に座っていて、様々な装飾品でとても美しく装っていました。彼女たち全員に敬意を表してお辞儀した後、子供たちは言いました。「慎ましい尊敬の礼ですが、どうか受けてください。お願いがあって来ました。主クリシュナと●ハララーマがこの近くにいらっしゃいます。クリシュナとバララーマは牛といっしょに来ていらっしやいます。お二人に言われて僕たちはここに来ました。僕たちみんな、お腹がペコペコです。食べ物をもらいに来たんです。クリシュナとバララーマと僕たちに食べ物をください」
これを聞くと、彼女たちはすぐにクリシュナとバララーマのことで胸が一杯になりました。彼女たちの心がこのように動いたのは自然なことです。彼女たちは、クリシュナとバララーマが大切な人だと教えられる必要はありませんでした。クリシュナとバララーマの名前を聞くやいなや、彼女たちはお二人に会いたい衝動に駆られました。いつもクリシュナに思いを寄せていた彼女たちは、最も偉大な神秘的膜想を行っていたのです。彼女たち全員が美味しい食べ物を忙しそうに容器に詰めました。供犠祭を行うために様々な美味しい食べ物が料理されていました。ご馳走を集めた彼女たちは、あたかも川が海に注いでいくように、愛するクリシュナのところに出かけようとしました。ずいぶん前からクリシュナのところに行きたいと思っていた彼女たちが今、主のもとに行こうとしています。すると彼女たちの夫、父、息子、親戚たちが彼女たちを止めましたしかし彼女たちはそれにしたがいませんでした。クリシュナの魅力に魅かれている献身者は骨肉の緋には縛られません。ヴリンダーヴァンの森は新鮮な草木や花々に溢れています。彼女たちはヤムナー川のほとりのヴリンダーヴァンの森に入って行きました。その森の中、クリシュナとバララーマは親しい友人たちに囲まれて牛の世話をしていらっしゃいます。彼女たちはついにクリシュナとバララーマに会うことかできました
主は黄金に輝く衣装を召していらっしゃいました。そして森の花でできた花輪を掛け、孔雀の羽根を頭に飾っていらっしゃいました。主はヴリンダーヴァンの土を体に塗っていらっしゃって、舞台の踊子のように見えます。片手を友だちの肩に乗せ、もう一方の手で蓮華の花を持っていらっしゃる主の御姿を彼女たちは目にしました。耳に百合の花を飾っていらっしゃる主はティラクも塗っていらっしゃいました。そして主の笑顔は魅力に満ちていました。彼女たちはこれまでに何度も主のことを聞いていました。彼女たちは主が好きになってしまっていたのです。彼女たちはいつも主に思いを寄せていたのです。そして今その主の御姿を彼女たちは目のあたりにすることができたのです。彼女たちは主を見つめています。主は彼女たちの目を通して彼女たちのハートにお入り たのです二一彼一になりました。
彼女たちは心ゆくまでクリシュナを抱きしめました。すると今まで会うことができずに、切ない思いをしていたことが嘘のように忘れ去られました。偉大な聖者は高い知識によって至上存在と一つになります。彼女たちもそのような聖者のように、至上主と一つになりました。彼女たちは親戚や父や夫や兄弟が止めるのも振り切り、家事の務めも放棄して、主のところに来たのです。生きとし生けるものの心臓に住むスー・ハーソウルとして、主クリシュナは彼女たちの心を読み取られました。主は彼女たちにとって魂であり命でした。彼女たちはその主のところに来ることができたのです。
ブラーフマナの妻たちは答えました 「愛しい主よ、そんな事おっしゃらないで。あなたの献身者はいつも守られる、と約束されたじゃありませんか。今こそ、その約束をお守りになって。あなたのもとにやって来てあなたに身を委ねた者は、物質的な暮らしの中には決して戻って行けません。そのお約束をお守り頂けると信じています。あなたの御足はトゥラシーの葉で飾られています。そのあなたの御足に、私たちは身を委ねています。ですからもう、あなたの御足の保護を捨てて、いわゆる親戚や友だちや知り合いのところに戻る気はありません。一体、私たちどうしたらいいんですか。帰れとおっしゃるんですか。夫も、兄弟も、父も、息子も、母も、友達も、私たちをもう家には入れてくれません。私たち、もうその人たちを捨てて来たんです。ですから私たちには、もう帰るところがないんです。もう帰れなんて、おっしゃらないで。あなたに守られて一生暮らせるように、どうか私たちをあなたの蓮華の御足の下に置いてください」バガヴァーンはお答えになりました。「みんな、心配しないで。帰っても、君たちがご主人に相手にされないということはないよ。兄弟や息子やお父さんが家に入れてくれないということもないよ。君たちは僕の純粋な献身者だ。だから、君たちの親戚ばかりではなく、普通の人々も、神々さえも、君たちのことを喜んでいるんだよ
クじ、ンユナはすべての心臓の中に位置していらっしゃいます雲ですから、クリシュナの献身者になるやいなや、すべての人々に喜ばれるようになります。主クリシュナの純粋な献身者はだれに対しても敵意を持ちません。正しい心理状態の人ならば、クリシュナの献身者に敵意を持つことはありえません。クリシュナはさらにおっしゃいました。
クじ、ンユナはすべての心臓の中に位置していらっしゃいます雲ですから、クリシュナの献身者になるやいなや、すべての人々に喜ばれるようになります。主クリシュナの純粋な献身者はだれに対しても敵意を持ちません。正しい心理状態の人ならば、クリシュナの献身者に敵意を持つことはありえません。クリシュナはさらにおっしゃいました。「僕に対する超越的な愛は家族の関係に束縛されない。でも、いつも僕に心を集中している人は疑いなくすぐに僕のところに来て、僕と永遠に交際することができるようになるよ」バガヴァーンに教えを授けられた彼女たちは、それぞれの家庭の各々の夫のもとに帰って行きました。妻の帰宅を喜んだブラーフマナたちは、シャーストラの規定にしたがって、いっしょに座って供犠祭を行いました。ヴェーダに定められている原恥によれば、宗教儀式は夫婦いっしょに行うべきものとされています。ブラーフマナの妻たちが帰宅すると供犠祭は規定通りに正しく行われました。しかし、クリシュナに会いに行くことを厳しく禁じられたあるブラーフマナの妻は、以前から聞いていた主の姿を思い出し、ただ主にだけ思いを寄せながら自然の法則に支配された体を捨て去りましたこ
常に喜びに満ちたバガヴァーンでいらっしゃるシュリー・ゴーヴィンダは普通の人間のような姿で超越的な遊戯をお楽しみになっていらっしゃいました。そしてブラーフマナの妻たちの捧げた食べ物をお食べになりました。このようにして、主は普通の人々をクリシュナ意識に魅きつけられました。ヴリンダーヴァンのすべての牛、牧童、乙女たちを主は自らの言葉や美しさに魅きつけられました。
妻がクリシュナのもとから帰ってきた後、供犠祭を行っていたブラーフマナたちはバガヴァーンに食べ物を捧げるのを拒んだ自らの罪の深さを反省しました。確かに彼らはヴェーダ儀式を行ってはいました。しかしバガヴァーンが普通の子供のような姿で現れたとき、彼らは主を無視してしまったのです。彼らはやっとその過ちに気がつきました。自分の妻の信念と献身を見て、彼らは自らを責めました。自分たちの妻が純粋な献身奉仕の段階に向上することができたのに対し、彼らは上魂をいかにして愛し、どのように超越的愛の奉仕を捧げればよいのかまったく理解できなかったのです。そのことを彼らは非常に残念に思いました。ブラーフマナたちは互いに話し合いました。「我々はブラーフマナとして生まれたが、それに如何なる価値があろうか。ヴェーダ文典を学んだとして何の価値があるのか。供犠祭を行って規定原則に従って、それが一体何だと言うんだ。家族が一体何だb教典に厳格に従って供儀祭を行うことに熟達していると言って、それが一体何になるんだ。ああ、我々は心の思索、体、感覚を超越したバガヴァーンヘの奉仕を無視してきたのだ」彼らはヴェーダ儀式に熟達し高い学識を持つブラーフマナでしたが、献身奉仕を無視してきたことを後悔しました。彼らがそのように後悔したことは正しいことでした。なぜならクリシュナ意識を持たなければ、どのような宗教的義務を遂行してもまったくの時間と労力の無駄にしかならないからです。
バガヴァーンはお答えになりました。「みんな、心配しないで。帰っても、君たちがご主人に相手にされないということはないよ。兄弟や息子やお父さんが家に入れてくれないということもないよ。君たちは僕の純粋な献身者だ。だから、君たちの親戚ばかりではなく、普通の人々も、神々さえも、君たちのことを喜んでいるんだよクじ、ンユナはすべての心臓の中に位置していらっしゃいます雲ですから、クリシュナの献身者になるやいなや、すべての人々に喜ばれるようになります。主クリシュナの純粋な献身者はだれに対しても敵意を持ちません。正しい心理状態の人ならば、クリシュナの献身者に敵意を持つことはありえません。クリシュナはさらにおっしゃいました。「僕に対する超越的な愛は家族の関係に束縛されない。でも、いつも僕に心を集中している人は疑いなくすぐに僕のところに来て、僕と永遠に交際することができるようになるよ」バガヴァーンに教えを授けられた彼女たちは、それぞれの家庭の各々の夫のもとに帰って行きました。妻の帰宅を喜んだブラーフマナたちは、シャーストラの規定にしたがって、いっしょに座っ
「僕に対する超越的な愛は家族の関係に束縛されない。でも、いつも僕に心を集中している人は疑いなくすぐに僕のところに来て、僕と永遠に交際することができるようになるよ」バガヴァーンに教えを授けられた彼女たちは、それぞれの家庭の各々の夫のもとに帰って行きました。妻の帰宅を喜んだブラーフマナたちは、シャーストラの規定にしたがって、いっしょに座って供犠祭を行いました。ヴェーダに定められている原恥によれば、宗教儀式は夫婦いっしょに行うべきものとされています。ブラーフマナの妻たちが帰宅すると供犠祭は規定通りに正しく行われました。しかし、クリシュナに会いに行くことを厳しく禁じられたあるブラーフマナの妻は、以前から聞いていた主の姿を思い出し、ただ主にだけ思いを寄せながら自然の法則に支配された体を捨て去りました
常に喜びに満ちたバガヴァーンでいらっしゃるシュリー・ゴーヴィンダは普通の人間のような姿で超越的な遊戯をお楽しみになっていらっしゃいました。そしてブラーフマナの妻たちの捧げた食べ物をお食べになりました。このようにして、主は普通の人々をクリシュナ意識に魅きつけられました。ヴリンダーヴァンのすべての牛、牧童、乙女たちを主は自らの言葉や美しさに魅きつけられました。
妻がクリシュナのもとから帰ってきた後、供犠祭を行っていたブラーフマナたちはバガヴァーンに食べ物を捧げるのを拒んだ自らの罪の深さを反省しました。確かに彼らはヴェーダ儀式を行ってはいました。しかしバガヴァーンが普通の子供のような姿で現れたとき、彼らは主を無視してしまったのです。彼らはやっとその過ちに気がつきました。自分の妻の信念と献身を見て、彼らは自らを責めました。自分たちの妻が純粋な献身奉仕の段階に向上することができたのに対し、彼らは至上魂をいかにして愛し、どのように超越的愛の奉仕を捧げればよいのかまったく理解できなかったのです。そのことを彼らは非常に残念に思いました。ブラーフマナたちは互いに話し合いました。「我々はブラーフマナとして生まれたが、それに如何なる価値があろうか。ヴェーダ文典を学んだとして何の価値があるのか。供犠祭を行って規定原則に従って、それが一体何だと言うんだ。家族が一体何だb教典に厳格に従って供儀祭を行うことに熟達していると言って、それが一体何になるんだ。ああ、我々は心の思索、体、感覚を超越したバガヴァーンヘの奉仕を無視してきたのだ」彼らはヴェーダ儀式に熟達し高い学識を持つブラーフマナでしたが、献身奉仕を無視してきたことを後悔しました。彼らがそのように後悔したことは正しいことでした。なぜならクリシュナ意識を持たなければ、どのような宗教的義務を遂行してもまったくの時間と労力の無駄にしかならないからです。
ブラーフマナたちは、さらに話し合いました。「クリシュナの外的エネルギーは非常に強力である。偉大なヨーギーでさえ舷惑されるほどである。我々熟達したブラーフマナは人間社会の全階級の師とされているが、その我々さえも外的エネルギーに舷惑されていた。それにしても、バガヴァーン・クリシュナに自分の命を捧げ尽くしたこれらの恵まれた女たちを見よ。家族の粋を切ることは非常に困難である。しかしこの女たちはそれをいとも容易に行った。家族生活とは、物雷一的な苦しみが続く暗い井戸にしか過ぎないものなのだ」
女性は率直なハートなを持っているために一般にクリシュナ意識を受け入れやすいという傾向があります。いわゆる知性と学識を備えた男性でさえもマーャーの束縛からの解放を得ることは困難です。しかしクリシュナヘの愛を育んだ女性はマーャーの束縛から容易に抜け出すことができます。女性が聖なる糸の浄化の儀式を受けることや、グルのアーシュラムにブラフマチャーリニーとして住むことはヴェーダの教えによれば許されていません。厳格で規律正しい訓練を女性が受けることは薦められていませんし、また女性は自己の悟りについて哲学的に議論することも得意ではありません。生まれつき女性は純粋ではありませんし、吉兆な活動にもあまり関心を持ちません。ブラーフマナたちは声を高くして言いました。「しかし不思議だ。すべての神秘的ョIギーの支配者であるクリシュナにこの女たちが超越的な愛を持つに至った。クリシュナに対する愛と献身に関しては我々のほうが劣っている。浄化の儀式をすべて習得したとされる我々だが、物質的な生き方に執着し過ぎて、実際には何がヴェーダの目的であるのか理解していなかった。牧童たちが我々にクリシュナとバララーマのことを伝えたが、我々はそれを無視した。今となって判ったのだが、あれはバガヴァーンが我汽に慈悲を与えるために策を巡らして下さったのだ。友人を送って我々に食べ物を乞わせたもうたのだ。主が子供たちを送られる必要などなかった。主なら、ただ望むだけで子供たちの飢えをすぐに満たすことがおできになったに志すだ」
クリシュナが生計のために牛の世話をしていらっしゃったことを聞いて主が自らの内に満足していらっしゃることに疑いを持ったり、食べ物が不足して主が空腹を感じていらっしゃったのでないか、と考える人もいるかも知れません。そのように考える人々は、幸運の女神が常に主に仕えていることを思い出すべきです。幸運の女神は常に落ち着きがなく、一定の場所に留まることはないのですが、主の魅力によって幸運の女神たちは主のそばを離れることができません。『ブラフマ・サンヒター』のようなヴェーダ文典によれば、クリシュナの住居では一人のみならず何千もの幸運の女神が主に仕えていることが分かります。ですからクリシュナがブラーフマナに食べ物を乞われたと考えるのは幻想です。純粋な献身奉仕の中で主を受け入れることができるように、彼らに主が慈悲をお授けになったのです。実際には主がそのような策を巡らされたのです。ヴェーダ儀式の祭具、適切な場所、適切な時間、儀式のための様々な器具、ヴェーダ讃歌、そのような供犠祭を行うことのできる聖職者、炎、神々、供犠祭を行う者、宗教原則などはすべてクリシュナを理解するためのものです。なぜならクリシュナがバガヴァーンでいらっしゃるからです。クリシュナは至上主ヴィシュヌで、すべての神秘的ヨーギーの支配者でいらっしゃいます
「主がヤドゥ王家の子供としてお現れになったので、愚かにも我々は主をバガヴァーンと理解できなかった。しかし一方、我々の厳しい反対にも縛られず、主に対して純粋な超越的愛を持った妻を我々は誇り高く思っている。マーャーと呼ばれる主クリシュナの幻想エネルギーの下で我々は果報的活動に携わってきた。そのマーャーの支配者、主クリシュナの蓮華の御足に、我々は尊敬の礼を捧げよう。我々はただ主の外的エネルギーだけに捕らわれてきたが、どうかそのことを主が慈悲深くもお許し下さるように祈りを捧げよう。我々は主の超越的な栄光を知らずに主の命令に背いてきたのだ」
フラーフマナたちは自分の罪の深さを悔いました@彼らは直接クリシュナのところに行き、尊敬の礼を捧げようとしました。しかし、カムサを恐れるあまり行くことができませんでした。つまり献身奉仕によって浄化されていなければ、バガヴァーンに完全に服従することは非常に困難なのです。学識のあるブラーフマナとその妻の例がそのことを鮮明に物語っています。純粋な献身奉仕に啓発されたブラーフマナの妻たちはどのような反対があっても気にせず、ただクリシュナのもとに急ぎました。しかし主の優れた立場を知るようになり後悔していたにもかかわらず、ブラーフマナたちはカムサ王を恐れていました。彼らは果報的活動にあまりにも執着していたからです。
以上『クリシュナ』第二十三章「ブラーフマナの妻たちを救う」に関するバクティヴェーダンタ解説終了。