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第21節

ヴェダーヴィナーシナンニチャン
ヤエナマジャマヴャヤン
キタンサプルシャパールタ
カングハータヤティハンティカン

veda —知る; avināśinam —破壊されない; nityam —常に存在している; yaḥ — (~である)人; enam — これ(魂); ajam —誕生しない;avyayam —不変な; katham — いかにして; saḥ — それ; puruṣaḥ —人; pārtha — 、おおパールタ(アルジュナ); kam — それを; ghātayati—傷つける原因となる; hanti —殺す; kam —誰を

おおパールタよ、魂は不生不滅にして 不壊不変なりと知る者がどうしてだれかを殺し、まただれかに殺されることができようか

目に見えぬ魂が別の体に移動すること、これもまた、スーパーソウルの恩恵です。人が友人の希望をかなえてあげるように、スーパーソウルは原子魂の希望を満たしてくれるのです。諸ヴェーダの中でも『ムンダカ・ウパニシャッド』や『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』には、この考えを美しいたとえで確証した記述があります。一本の木にとまっている二羽の仲良し鳥。これは2種類の魂のことです。一羽の鳥(微小な魂)は、木の実を食べています。もう一羽の方(クリシュナ)は、ただその友を見つめているだけ。二羽の鳥は、ともに本性は同じなのですが、一方は物質という木の実に魅せられて、とりこになっています。他方はただそれを目撃しています。クリシュナは目撃している鳥で、アルジュナは木の実を食べている鳥です。二人は友人である、といっても、やはり常に一方は主であり、他方は従なのです。この関係を忘れてしまった微小な魂は、木の間をあちこち飛び移り、つまり、次々と体を変えて再生を繰り返します。肉体の木にとまった微小な魂は、不自由で苦しくてたまりません。ですが、アルジュナが自発的にクリシュナの訓令に服したように、微小な魂がもう一羽の鳥を至上のグルとしたならば、彼はたちどころに自由となり、あらゆる苦悩から解放されるのです。これは『ムンダカ・ウパニシャッド』と『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』で確認されていることです。

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