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第40節

インドリヤーニマノブッディル
アスヤーディシュターナムチャテ
エタイルヴィモハヤトイエシャ
ギジナーナマーヴリトヤデヒナン

indriyāṇi —五感; manaḥ —心; buddhiḥ —知性; asya — この欲望の; adhiṣṭhānam —住処とする所;ucyate — ~と呼ばれる; etaiḥ — これら全てによって; vimohayati —惑わせる; eṣaḥ — この欲望; jñānam —知識; āvṛtya —覆っている; dehinam —肉体をまとった魂

この欲望は眼耳鼻舌身の五感と心と知性を住処とし本来の知識を覆いかくして生物を迷わせているのだ

 敵は制約された魂の体にある各種の戦略地点を占領しているので、主クリシュナは、それがどこかヒントを与えて、敵に勝とうという気のある人の参考にして下さっています。諸々の感覚活動の中心地は”心”です。感覚の楽しみに関するすべての観念や計画の、大貯水池のようなものです。ですから、心と五感は欲望の倉庫です。次に”知性”という部門が、さまざまな煩悩を率いる元締めになっています。そして知性は魂のすぐ隣に居住しています。魂はこの精力絶倫な知性の影響を強く受けて、虚偽の自我を本物の自分だと錯覚してしまいます。心や五感の作用を自分だと思い込んでしまうのです。魂は肉欲の歓楽にふけって、これが幸福だと誤認します。この魂の誤認について、『シュリーマド・バーガヴァタム』

yasyātma-buddhiḥ kuṇape tri-dhātuke
sva-dhīḥ kalatrādiṣu bhauma ijya-dhīḥ
yat-tīrtha-buddhiḥ salile na karhicij
janeṣv abhijñeṣu sa eva go-kharaḥ

 「三要素から成るこの肉体を自己と同一視する人間。その肉体の副産物を身内の者として特別扱いする人間。肉体が生まれた土地や国を崇拝する人間。悟りを開いた人を尋ねて会うことより、聖地巡礼して水浴びすることを選ぶ人間、そのような人間は、ロバや牛と大差はない」

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