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第50節

siddhiṁ prāpto yathā brahma
tathāpnoti nibodha me
samāsenaiva kaunteya
niṣṭhā jñānasya yā parā

siddhim —完成; prāptaḥ — 達成すること; yathā — ~ように;brahma — 思考のもの; tathā —それで; āpnoti — 人は達する;nibodha — 理解しようとする; me — 私から; samāsena — 簡潔に; eva — 確かに; kaunteya —お クンティの息子よ;niṣṭhā — 段階; jñānasya — 知識の; yā — その;parā — 超越的な

おおプリターの子よ、私がこれからまとめる方法に従えば、このような完成に達した人がいかにして最高完成段階ブラフマンに達することができるか私から学びなさい。

職業的義務を遂行することにより、すなわちその義務をバガヴァーンのために行うことにより人がいかにして完成段階に達することができるか、主はアルジュナに説明される。仕事の結果を単に至上主の満足のために放棄すれば、人はブラフマンの最高段階に達することができる。それが自己の悟りのプロセスである。知識の実際の完成は純粋なクリシュナ意識を達成することにある。そのことが以下の節で説明される。

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